☆しんかなのブログ☆

元学校の先生、無職、そして母になる。〜世の中への社会研究〜

ここで産むと決めてから〜母になるための選択 最終章〜

私は、今までの人生、自分が選択してきたことは正解だと考えている。

あのとき、ああすれば❕と直後は思い悩んだりもする。

けれど時が過ぎれば、納得する。

諦めではなく、それが自然な形になっていると気付くのだ。

私は直感で選択することも多いが、

研究癖(知りたがり屋というのか (興味があることは調べたい)があるので、

調べすぎて頭でっかちになり悩むことも多々ある。

「安産、命を懸ける、幸せな出産とは?」

今回の出産もそうだ。
私の出産エピソードを何回かに分けてブログに綴っているわけだが
なんで落ち込むんだ分からんと思う方もいると思います。
帝王切開になったとはいえ、母子とも健康なわけなのに。
ちょっと贅沢なんじゃないの?と。
帝王切開は今、5人に一人の時代で特別じゃないよと。
 
2週間にわたる産前産後の長い長い入院。
毎日健康なのに採血、検査、点滴、病院食。
出産当日は、下半身は動かず赤ちゃんとは離ればなれ。

傷が痛んで起き上がれず、明け方にナースコールを押して、

赤ちゃんを預けて情けなくなった。

入院中、分娩室から聞こえる産声に悲しくなった(私は手術室)。

初めての入院生活に、すっかり心が病んでいたところはある。
身体でなく気持ちが苦しかった。
 

早く家に帰りたい。

でも赤ちゃんを一人で世話できる自信がない。
でも病院なんて大嫌いだ。
でもナースコールがついている家に帰りたい。
 
入院中、助産師さんに愚痴りまくっていた。
予定日超過は病気じゃない❕
切らなくてもいい方法はなかったのか?
私は一生普通に産めないんだ、とか、、、
※経膣分娩はできなくもないが、
リスクが高いので、一度切ると次も切るほうがいいとされている
 
産後も前向きに育児をしながらも、ふと出産を思い出し、

モヤモヤしたときは夫や母に吐露していた。

誰の慰めも響かない日々が一ヶ月は続いた。

 

自分の出産を「失敗」だと思っていたせいで引きずった。

自分の研究癖が仇になった。
お産に興味があった私(産院変えてたことから分かるように)は、
いろんな本を読んだし、ママ友に経験談を聞いた。
もちろん帝王切開になった人の話も聞いていた。
でも、自分がそうなるとは思わなかったし、
本の影響で帝王切開や吸引分娩といった異常分娩はあってはならないと考えていた。
 

帝王切開の子どもは身体が弱い。

難産になる産婦は努力不足。

帝王切開では真の「女」になれない。子どもに愛情が湧かない。

帝王切開は命懸けではない、幸せな出産ではない。

 
など。極端な思想だ。
帝王切開だって「立派な出産」と頭では思っていたけれど、
どこかでそうかもなと納得していた自分がいたのだろう。
 

だから、すっごく落ち込んでいた。

私は妊娠生活が間違っていたのかな、愛情が湧かないのかな、と。
自分の研究癖のせいで苦しんでいた。
 

でも、今はそれは違うんだと言える。

 
私は努力して出産にのぞんだ
命を懸けて手術台にのぼった。
あの選択はベストを尽くした上だ。
破水3日目で感染症の危険があった。
充分降りてきていない赤ちゃんに、
強力な促進剤や吸引は危険だったかもしれない。私自身も。
 
赤ちゃんは健康で順調に育っている。
毎日かわいいと思って育てられている。
家族も友達も色んな人たちが赤ちゃんの誕生を喜んでくれた。
育児は分からないことだらけで正直不安になることもある。
これからも度々不安になるだろう。
でも支えてくれる人がいるし、一人じゃないと思える。
 
夫は、愚痴る私にずっとかけてくれていた言葉がある。

「今回の出産は成功だ。産みかたは少し違ったかもしれないけれど、

10ヶ月も長い間、赤ちゃんが健康なままお腹にいることができた。

それはすごいことだよ」

 
今はそうか、私の出産は失敗じゃないんだと、その言葉を受け入れられる。
 

今回の帝王切開だって、

安産だったし、命を懸けていたし、

幸せな出産だと赤ちゃんに気づかされた。

 

そもそも出産に優劣なんてない。

失敗なんてない。

全部成功だ。

 
自宅だって病院だって、
分娩台だって、手術台だって、どこで産んだって、
どんな産み方であったって、
赤ちゃんが病気を持って産まれてきたとしても、

命の誕生というのは奇跡だ。

幸せなものだ。

 

赤ちゃんの私へのギフトは「幸せな出産」だった。

思い返せば、そうだった。
確かに私は産前産後、精神的につらかった。
 
でもあの日、帝王切開の手術の日。

赤ちゃんが誕生した日、

私は人生で一番幸せだなと思った。

誕生した瞬間、つらかった時間が全部吹き飛んだ。
 
手術の執刀医と、取り上げてくれた助産師は、
ずっと担当してくれていた人たちだった。
いろんな産院を転々としてきたけれど、一番話を聞いてくれた人たちだった。
また、麻酔医に手術前、産まれる赤ちゃんの名前は❓と聞かれ、
名前がたまたま、その人の幼なじみと同じだった(我が子の名前は少し珍しい)。
手術だけれど、アットホームな感じがした。
 
土曜日だったこともあり両家の家族が来てくれた。
手術の無事を祈ってくれていた。
お疲れさま、おめでとう。
新生児室のガラスの前で、私が一番に赤ちゃんを抱っこするのを待ってくれていた。
 

初めて抱っこした時、体は小さいけれど、どっしりと命の重みを感じた。

その時、赤ちゃんはこうやって色んな人たちに祝福されて

産まれたかったんだなと思った。

いや、違う。私にこの景色を見せたかったんだなと。

 
予定日は台風直撃の日だった。
1週間後も台風の予報だった。

13日目は見渡す限りの金色の稲穂が広がるような、秋晴れだった。

 

赤ちゃんが産まれる日を選ぶっていうのは本当かも。

お母さんを幸せにするために産まれてくるっていうのは本当かも。

 

考えすぎて調べすぎて、頑張りすぎてガチガチになってしまう私を

助けに来てくれたんだね、きっと。

「生きているだけですごいんだよ」

「幸せは身近にあるよ」

 
と思っていたのに、産後は落ち込んでしまったけれど思い出した。
こうやって書けるときにブログを書き始めるうちに、
赤ちゃんは生後2ヶ月を迎えようとしている。
 
できればお腹を切りたくなかったな、という感情はまだ残るけれど、

手術前の「出産はもうこりごりだ」という気持ちは今はもうない。

また機会があれば、命の誕生の瞬間を見たいと思う。

自分じゃないかもしれないけれど。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

ここで産むと決めてから~母になるための選択②~

「まだお腹の中にいたい」

 
現在、すくすくと成長する赤ちゃんの育児に明け暮れる毎日を送っています。
赤ちゃんを見ていると、無条件に可愛く愛しいなと思います。

同時に今ここに存在しているならば、

産まれ方なんてこだわる必要はないとも。

そんなことを忘れるくらい、

生きるということは慌ただしくパワーがある。

生きているだけ、命があるだけで素晴らしいと思わせてくれます。

 

41週6日の早朝。正期産最終日。

今日産まれなければいけないタイムリミットの日。

予定日が間違っているのか(妊娠前の生理日は記録していたから間違いない)、
病院から逃亡して一人で産もうか、
入院中悶々と考えたが、私は逃げずにここにいた。
陣痛で一睡もできなかったが頭はしっかり働いている。

決断しなければ。

促進剤を打つのか、元気なうちに帝王切開か。

 
この決断は合っているのか?
正直、自信がない。
赤ちゃんはそれでいいのか?
でも、それしかないと思う。
 
口に出して言う勇気がない。
時間が止まればいい。
いや、戻ってほしい。
ただお腹の中にいるだけで幸せを感じていた日々に。
 
どこからやり直せば、今ここを悩まなくて済むのだろうか?
私の何がいけなかったのか?
 

陣痛はすでになかった。

というよりも、私自身が「陣痛よ、止まれ」と一晩ずっと願っていた。

止まってはいけないはずなのに。

 
昨日から陣痛が起きても無意味な気がしていた。
薬で無理に陣痛が起きているだけ。
赤ちゃんは降りてくる気がないんじゃないかという気がしていた。
実際どんなに促進剤を使っても心拍は変わらず元気だった。
助産師さんが赤ちゃんの心拍を確認しに来た。
 

その時、左胸の下あたりを赤ちゃんが足で蹴った。

臨月に入る前からよく感じた胎動だった。

もう正期産最終日なのに、なぜそんなに上にいるのか❓

 
心拍を助産さんが取るときにも不思議なことに、
赤ちゃんが昨日とは逆の位置に心臓があった。
 

つまり、まだ骨盤に頭が十分にはまっていない。

赤ちゃんはお腹の中で動く余裕があるのだ。

 
その時、どの選択をするか決めた。
 
そうか、わかった。

まだお腹の中にいたいってことなんだね。

本当はお腹の中にいさせてあげたい、できれば。

自力で出てくると信じて待っていたい。
離れたくない。
 

でも医療の、大人の、私の都合で今日出てきてほしいんだ。

あなたが元気なうちに。

私が会いたいからさ、ごめんね自分勝手で。

 

だからあなたはもう頑張らなくていいよ。

出たくないのに無理に苦しい思いはさせられないよ。
陣痛を無理に起こされたり、引っ張られたり嫌でしょう。
 
 

だから私が全部リスクを背負うよ。

本当はお腹を切りたくないけど切るよ。

手術による副作用も、術後のデメリットも全部受け入れる。

決めた、覚悟した。

 

あなたの命が手に入るならそれでいいや。

 
胎動を感じる前から、私は帝王切開を選択していた。
でも、言いたくなかった。
でも、胎動は迷いを消してくれた。
 
医師と最後のエコーを見た。
予想通り、促進剤を使っても赤ちゃんは降りてきていなかった。
 

「私、帝王切開します」

 
医師に伝えて30分後に手術が始まった。
 
もうすぐ会えると思うと嬉しかった。
人生で初めて身体にメスを入れる。
 
覚悟はしていた。
でも動かないように両腕をベルトで縛られた時、怖いと思った。
涙は拭けないけど、一筋涙が流れた。
 

あーあ、もう逃げられない。

あーあ、もう下からは産めない。

あーあ、一生傷は残るんだなあ。

あーあ。

あーあ。

 
処刑前の人って、切腹前の武士ってこんな気持ちなんかなあ❓
 

昨日までの私は死んだ。

約30年生きてきた私は今日死んだんだな。

大げさかもしれないけれど、その時はそう感じていた。
全身麻酔でなく、下半身だけの麻酔だった。
うまく麻酔は効いた、痛くはない。
でも何が起きているか分かる。
あ、切られた。
 
戻れない。
つらいな。
もうすぐ会えるんだ。
楽しみだな。
元気かな?
大丈夫かな。
 
一睡もしていない。
何も食べていない。
ものすごく眠い。
意識が朦朧とする。
けど絶対寝ない。
 

今起きていることを覚えておきたい。

赤ちゃんの第一声をひとつも逃さず聞こう。

 
いろんな気持ちが入り交じっていた。
 
そして、無事赤ちゃんが誕生した。
手術台の私の耳元に連れてこられた。
抱っこはできなかったけれど、一瞬だけベルトを外してもらって触った。
元気に泣いていた。
 

「やっと会えたね。

て、なんで出てこなかったん?」

 
それが私が最初にかけた言葉だった。
のちのち笑い話になりそうである。
 

赤ちゃんが幼児くらいになったら

出てこなかった理由を語ってくれる日が来るだろうか?

迷子だったのか、

ただ、お腹の中にいたかっただけなのか。

 

「大人の決めた期限なんて知らないよ。

こっちにも都合があるんだ」

自分のペースを貫く赤ちゃん、我が子はきっと大物になるだろう(笑)

 
正期産というリミットがあるのは、
それを過ぎると胎盤機能が低下するからだそうだ。
私は術後、自分の胎盤を見た。
大きく立派で劣化はしていないそうだ。
来週も大丈夫だったのかもしれない、なんてね。
 
出てこれなかった理由を、
医師はレントゲンでは赤ちゃんの頭が少し大きく、
骨盤ギリギリだったからかなと言っていた。
けど、私はレントゲンで実際どうなるか分かるもんかと思う。
 
単純にお腹の中が居心地がよかった。
赤ちゃんが出たくなかった。
私にはその解釈のほうがしっくりくる。
 

帝王切開も赤ちゃんにとっては予定通りだったのかもしれない。

最初から、いや途中からかもしれないけれど、

そうやって産まれたかったんだろう。

 
うん、そのほうが納得できる。
私は妊娠中、産まれる時は医療介入しないほうがいいのかなと
考えていたけれど、それは私の願いであり、こだわりだった。
そう、赤ちゃんの願いは違っていたんだ。
 
当時を振り返りながら、今ならそう思える。
 

少しはふっきれた?

いや、まだ頭の中での理解で、気持ちは追いついていないかな。

正直、なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだと思っている(笑)

 
するっと苦労なく産む人だっているじゃんって。
思った通りのお産ができる人だっているじゃんって。
量子物理学?
無意識に引き寄せたんだろうって?
なんじゃそりゃ。勉強不足か。
お産について考えすぎたから罰が当たった?
あーあ。もう、、、
 

やりたくないことを受け入れるのには時間がかかる。

ただ今回のことは、私に予想もしなかった景色を見せてくれた。

妊婦から、母のスタートラインに立つには必要な経験だった。

赤ちゃんがくれた「学び」、「ギフト」なんだろう。

 

ここで産むと決めてから〜母になるための選択①〜

「予定日超過が病名だった/信じて待つということ」

 

妊娠中、お腹の赤ちゃんにまつわる夢をよく見た。

ひとつめは、私に似た赤ちゃんの笑う夢。これは、結構あたっていた。
自分でも分身かと思うぐらい(爆笑)
二つ目は、いつ産まれるか日にちを予言する夢。
これは予定日超過四日目だったから外れた。
実際は超過13日目(正期産ギリギリ)。

三つ目は、産まれてこないから一生妊婦の夢。

お母さんになれない夢。

まだ妊婦なの?と人から言われていた。

 
最後の夢は、臨月に入る前後よく見ていた。
なぜか不安になって、何人かに話して、まさかーと笑っていた。
誰かが昔流行った少年漫画(「封神演義 ほうしんえんぎ ※中国の明時代の小説」)に
3年間お腹にいて産まれた宝貝人間(パオペエにんげん)いたねー
だとしたら最強の力を持つ人間になるね、としみじみ言われた。
ということは大物になるね、と私は返した。
 

しかし、正夢になるとは思わなかった。

 
正期産に入って病院の検診は週1になった。
そのたびエコーで赤ちゃんの子宮口への降り具合を見ていた。
 

38週。前回とあまり変わってないね。運動続けてね。

39週。子宮口は柔らかくなってきたんだけどね。

40週。来週まで産まれなければ誘発分娩ね。

41週。促進剤無理なら帝王切開ね。

 

無事産まれてから、

42週まで、過期産まで自然に待てば産まれたのでは?と医師に確認した。

そして私に陣痛がこなかった理由は努力不足かと。

 
医師は、運動したからしてないからは関係ない。
骨盤が狭すぎるわけでもない。
一見、児頭骨盤不均衡だけど、そうとは言いきれない。
たまたま赤ちゃんの頭と骨盤の相性が悪かった。
タイミングがズレたというのか。
そういう赤ちゃんがあなたを選んだのだ。

来週になっても自力で出てこれないよ、死んでいたかもしれない、

長年の経験から言うと。

あなたの選択は賢明だったと思う。

これ以上努力できることはない。

 

赤ちゃんは誘発分娩で入院した初日、

エコーでみると降りる方向を間違えていた。

医師は切るしかないと断言はしなかったけど、そう思っていたと思う。
入院して翌日、微弱陣痛があった。また方向を間違えていた。

明日から促進剤の予定だった。

でも私はあと1日待てば正常に進路は戻るとなぜか思っていた。

そんな気がした。

この日は、41週3日。

5日目は促進剤を使うと約束するから

4日目は自然な陣痛を待ちたいと医師に伝えた。

母子へのリスクがあがると注意されたけど、それでもいいと言った。

 
入院してから病室では何度もスクワットをしたり、
寝る前はお腹が張るように乳房マッサージをした。
ベッドの周りを100回くるくる回ったりもした。
病室にはWi-Fiがなく、容量がオーバーし、携帯に制限がかかった。
入院中はネットもLINEすらできなかった。
誰かと連絡を取りたい気分にはなれなかったけれど、本当に孤独だった。
毎日泣いていた。
※産まれてからは少し余裕がでて、1kbだけ増やしてLINEをつなげた 
それでも人と連絡を取る気分にはなれなかった
 
促進剤を投与しなかった四日目の夜、破水した。
急いでエコーを見ることになった。

奇跡は起きた。赤ちゃんが正常な進路に戻っていた。

医師は、明日促進剤を使えば、切らずに産めるかもと言った。

 

信じて待ってよかった。

予定日を過ぎてから私は久しぶりに笑った。

もうすぐ予定日を過ぎてから2週間。
まだ産まれないの?と誰かに聞かれるのがしんどかった。
入院してからもっと疲れた。
 

やっと、報われた気がした。

夫婦で、この子はマイペースだけど

ゴールには確実に向かっているねと話した。

 
5日目は朝から夜まで陣痛促進剤を投与した。
強くなる陣痛に何度も吐き、胃液まで吐いた。
結局6日目の朝には陣痛はなく、分娩停止。
 
さらに促進剤を投与して吸引や大きく会陰を切る、
おなかを押すなどして赤ちゃんと一緒に体力の限界まで頑張るか。

ただ赤ちゃんに障害が残る可能性がある。

 
それとも私と赤ちゃんが元気なうちに帝王切開するか。
ただ私が一番したくないことだし、
一生下から産めないかもしれないし、傷は残る。

あらゆるリスクは私が背負わなければならない。

 
私の結論はとっくに出ていた。
でも、、、という思いだけが残り、後押しがほしかった。
 
6日目の朝、おなかの赤ちゃんがどうしたいか意思を示してくれた。
私はそれに従うことにした。不思議と何も怖くなかった。
 

やるべきことはやった。やってきた。

運動も食事も自分たちでできる範囲でやった。

でも皮肉にも自力では産まれてこれない。

医療の力をフルに借りるしかないのだ。

 

そうやって赤ちゃんが宿ってからトツキトオカ、二人で選択をしてきた。

産まれてからは別々の一人の人間の人生が始まるけれど。

 
私は医師と妊娠最後のエコーを見て、選択を伝えた。

この選択をしたから、今親子3人で笑っていられる。

私はなんとかお母さんになることができた。

 
次回に続く

ここで産むと決めてから~母になるための選択 序章~

「異常分娩を受け入れる」

 
私の横ですやすやと眠る赤ちゃん。
今日も生きている。それだけで充分だ。
何もいらない。

生まれてきてくれてありがとう。

毎朝思う。

 
我が子は、予定日超過13日目、平均より大きく五体満足で産まれた。 
生後一ヶ月。
赤ちゃんは一ヶ月で5キロに成長。
よく泣き、よく寝て、よく母乳を飲み大きくなった。
私も産後、夫や実母をはじめとする家族のサポートもあり、体調もすっかり戻った。
 
赤ちゃんが産まれたことをLINEで報告した友人に、

「安産だった?」と聞かれたとき私は躊躇した。

そして安産だった、と返信した。

 
安心、安全という意味では安産だったといえる。
私も赤ちゃんも健康だったのだから。
出産間近までトラブルが何一つなかった。

だから、今から書くことが自分に起きるとは予想していなかった。

結果として一般的には「難産」になると思う。

 
妊娠中できるだけ医療介入なく自然に産みたいと考えていた。
それが自分のしたいお産だと思っていたし、
赤ちゃんにとってベストな選択だと思っていた。
でも助産師さんに来てもらって自宅出産を目指したものの、
あれよあれよと導かれるように総合病院で信頼できる人たちと産むことを決めた。

病院を選ぶ時点で、いざというときは

吸引分娩、鉗子分娩や帝王切開(異常分娩にあたる)

も受け入れる覚悟でいた。

でも、まさか自分が。

詳しくはブログ記事「ここで産むと決めるまで ①~③」
※自然分娩とは、経膣分娩をさします
(正確には会陰切開すると自然とは言えないらしい)
 
以下、時系列で読みづらいかもです。
 
実際の私と赤ちゃんのお産は、

予定日1週間超過の半日にわたる微弱陣痛からはじまった。

しかし本陣痛につながらず陣痛は止む。
促進剤を投与する誘発分娩に切り替わる(41週2日から入院)。
病院で歩きまわったりして本陣痛を待った。
けれど数時間の微弱陣痛しか来ず止む。
 

41週4日に破水。羊水が出てしまう。

41週5日に10時間にわたる促進剤を点滴。その効果で子宮口は6㎝に。
点滴をやめ自然な陣痛を待ち、翌日に期待しLDR で夫婦で泊まる。
明け方まで2分~5分おきの陣痛と度重なる嘔吐を繰り返したが陣痛は消えてしまう

分娩停止。

 
41週6日の朝、エコーで見る赤ちゃんは骨盤にはまっていなかった。
NST では赤ちゃんの心拍は元気そのものだった。
破水3日目。羊水も減ってきている。私自身の熱も上がっていた。

医師は正期産(41週6日まで)に産まれないだろうと予測

(この病院のお産は待てるのが正期産まで)

 

この日を迎えてしまったら、

赤ちゃんへの破水による感染症の予防のため、

促進剤を投与し吸引分娩(母子の限界がくれば帝王切開)➕大きく会陰切開

もしくは母子とも元気なうちに帝王切開の選択をすることになっていた。

 

私はもしあの日に戻ることができたとしても、同じ選択をしただろう。

 
41週5日から6日の明け方まで。促進剤による陣痛で苦しんだ24時間。
吐きすぎてお腹は空っぽで、痛みで一睡もできなかった。
でも頭はいっぱいで翌朝決断しなければならなかった。
 

産後1ヶ月。

自分の選択は、お産は正しかったのかと落ち込んでいた。

自分の何が異常分娩を引き起こしたのか、と自分を責めていた。

授乳しながら、はじめての育児に追われながら泣いてばかりいた。

家族以外会いたくなかった。

出産のことを聞かれるのが怖かった。

 
だけど何度考えても妊娠中の自分の生活がおかしいわけでもないし
(身体づくりはしていたと思う)
間違っているわけではない。異常ではない、と。誰も悪くない。
長く待てない病院や医療が悪いわけでもない。

たまたま正期産という、イムリミットに間に合わなかっただけだ。

 

頭ではすっかり清算できている。

あのお産はあれでいいのだと。

私のお産のあり方としてはこだわれたと思う。

赤ちゃんの意思を大切に、赤ちゃんの命を守りきれたのだから。

 

けれど、

やっぱり医療介入なく自然に産めるものなら産みたかった、

という思いは残る。

 

悲しいし悔しいししんどい。

産み方にこだわっていたわけじゃないけれど。

 
もう、いや、まだ一ヶ月。

人に会えるぐらいになりました。

「もやもや」は残っていますが、前向きに生きています。

この気持ちをなかったものにしようとしなくたっていいじゃないか
今しか書けない、気持ちを人に話すことでより前に進みたい。
それが久しぶりにブログを書こうと思った理由です。
 
母になるためにどんな思いで、最終的な選択をしたのか。
産後どんな思いでいるのか。
率直な思いを何回かにわけて綴ります。興味のある方読んでください。
 
日々ワンオペ育児に追われている(笑)ので、
毎日書けないかもしれませんが気長に。。。
 
 

「輝くとは何か」

「色々あっても楽しそうな人に」

私って何もない。才能もない。

 

縁の下の力持ちタイプでもないけど、

特に目立つこともなく、

周りの輝く人たちを「すごいなあ」

時には陰でサポートして生きていくんだろうなあ。

まあ目立ちたいわけじゃないけど、

可もなく不可もなく、日陰の人生だなあと思ってきたけれど、

そうでもないのかも?と考えるようになりました。

いつも通り長い文章になりますが、読みたい方はどうぞ↓です(笑)👏

 

 

親の教育方針で(本好きの子どもにしたい📖)、

小さな頃から本が充実した環境で育ったので、

図書館に行ったり文章を書いたりと活字が好きでした💕

小学生ぐらい?の頃から漠然と、

大人になったら絶対、小説家か(新聞)記者(自称を含む)

と結婚しようと決めていました。

声に出して誰かに言ったことはなかったけれど。

実際、現在結婚していますが、

夢が叶ったかはご存じの方はご存じで、ということで(笑)💦

 

 

とにかくも、文章を紡げる人に尊敬と憧れがありました。

そのせいなのか無意識だったけれど、

大学では大学新聞を書くサークルに入っていました。

でも、そこでは自分が文章を書いたり、

人の文章を読んだり校正したりして楽しむだけで、

そこにいた先輩同級生後輩とは4年間、

それ以後も一切、サークル仲間以上の関係に発展することはなく(笑)

結婚相手には至りませんでした🔙誰も得しない情報です

 

 

ある時期は、自分が憧れの人になればいいんだと思い、

新聞サークルに所属してみたり、社会人の文章教室に通ってみたり、

新聞社の就活をしていました。

でも違うなー別に文章うまくないし、うまくなりたいわけでもないし、

誰かに読んでほしいわけでもないなあと気づいたのです。

才能なんてないしなあー凡人だしなあー

私は集団で輝けるタイプじゃないしなあ。

人を輝かせる、それに生きがいを見出だすタイプかもなあ❓

 

 

それが大学卒業後に、中学校の先生になろうと決めた大きなきっかけでした。

はい、やっと本題に戻りました。

極端に言うと、

生徒のために自分が大変でも楽しくなくても頑張ろう💪って思っていました。

 

 

でも私だって欲深い人間なので、

生徒に「先生のクラスがいい」「先生が好き」とか言われたい、

いい評価をされたい。

私自身も「この仕事が好き(天職だわー)」「仕事もプライベートも充実してるー」とか思いたい、輝きたいという気持ちが常にありました。

 

 

何度もこのブログで書いてきたように(前向きな気持ちもあったけれど)、「先生が楽しくない」「いい評価がされない」

=輝いてない私ダメだ、と居心地の悪さを感じて退職したわけです。でも、それって思いこみだったんじゃと今は思うんです。

非常に狭い輝きの定義で。

例を2つ挙げます🍀

 

 

ひとつ。

私がもし(自称)小説家と結婚できていたとして。

 

その人が芥川賞直木賞を目指していて、

コツコツ文章を書いて作品を投稿していました。

だけど死ぬまでに夢は叶いませんでした。

書き続けただけでした。

私を含め身近な人に読んでもらったり、趣味仲間の小さな冊子に載るくらいでした。

 

この人はダメで輝いていなかったのでしょうか? 

いや、私は側にいて夢は叶わなくても楽しかったと思います💓

 

ふたつめ①

実際にあった話。

かつての私のクラスの生徒が作文を書きました。

タイトルは「将来の夢」。

生徒は将来、国境なき医師団のナースになって、

発展途上国で働きたいと書いていました。

それを知ったクラスメイトは「すげー」と絶賛していました。

生徒は鼻高々で、私にもドヤッという感じで作文を提出しました。

 

 

ふたつめ②

実際に聞いた話。

あるお父さんの話。息子の二分の一成人式(小学校で10歳の時に行う学校行事/親への感謝や将来の夢を語る)を参観しました。クラスメイトたちが「野球選手」「保育士」といった職業を将来の夢に挙げる中、

息子は

したい仕事は思いつかないけど、

家族や友達と過ごして今が楽しいと思います。

好きなことを仕事にしていて、

家で楽しそうなお父さんみたいになりたいです」と発表したそうです👨

 

 

と、「輝くとは何か」という話で。

別に華々しくて多くの人が評価しなくても輝けるし、

輝いてるんじゃないかなと私は今は感じています💡

 

 

学校で先生をしていたからこそ今よく感じることは、知らず知らず、いや、意識的に、凡人はダメ、評価されなくちゃ意味ないよ、すごい人になりなさい(でも適度に普通でいなさい)と大人は子どもたちにメッセージを刷り込んでいるということです

道徳を含め教科書に出てくる人物はいわゆる偉人ばかりだし。。(笑)

そのメッセージを受け取ったまま大人になったのが、かつての私かと

(だって30歳まで学校の世界しか知らないんだもの、と言ってみる)😸

 

 

凡人でもいいんだよ。生きているだけで丸儲け(笑)だよ。

国民栄誉賞とらなくたっていいんだよ。

学校目標にあるような、

明るく元気で挨拶ができる模範的な子どもにみんながならなくたっていいんだよ。

体育大会みんなで一致団結して優勝、と教室に掲示されていても、

違う行事や違うことで頑張ればいいんだよ。頑張らなくてもいいかもしれないし(笑)

 

 

狭い世界で評価されるから輝く、なんて変な話です。

それぞれ持ち味があるし、みんな輝いています✨

そこにいるだけで、何かしら影響を確実に与えていて必要な存在です。

 

 

私は自分を客観的に見ることはできないから、

自分に対して前向きな評価ができません。

でもいつも同じ近所の友達、毎日会うクラスメイト、学生時代の部活動やサークル、

毎日会う職場仲間。

固定された評価のある人間関係から少し離れた1年半

(退職してから色んな人と日々出会いました)。

どの人も素敵だと思いました。

長い付き合いの友達も改めて輝いてるなあと感じました🌼

 

 

美魔女じゃなくたって子どもを大切に育てているお母さんは美しいし、

悩み葛藤しながらも仕事に向き合っている

サラリーマンはカッコ悪くなんてないです。

カッコいいい肩書きなんてなくたって、

華々しく目立って活躍なんてしてなくたって

魅力的なんじゃないでしょうか😁

 

 

それこそ、色々あったとしても楽しそうだなあと

一人の子どもにでも思ってもらえるような大人でいいのかもしれない。

やりたいことやって。目標に向かって取り組んで。

途中で違うことに興味が出て方向転換もするかもしれない。

イヤになって投げ出して(笑)( -.-)ノ

 

 

自分に対しては甘くなるか厳しくなるしかできなくて、

厳しくなるしかできなかったけど、甘くなるとしたら。。。

私もいるだけで意味がある人間なのかもしれません。

うん、頑張ってる。うん、生きてる、オッケー🍃(笑)

 

 

 

 

さて、まだ産まれる気配はなく(突然来るんでしょうね)、

ブログも更新できました。

サブタイトル通り、今後も楽しそうに生きたいなあと考えています。

よろしくお願い致します。

しばらくブログはお休みですー💓

私にとっての「自然」とは?

「特別なことはしない、やりたいことをやる」

 
臨月に入りましたー。
あんなに小さかったお腹がそれなりに大きくなり、
とうとう普段穿いていたゴムのズボンが入らなくなりました( ´△`)💦
今週に入ってお腹が張る回数が増えました。
 

いつ産まれてもおかしくない😱☀

気分は死刑宣告を待つ死刑囚のよう(たとえが悪い(笑)) 

しかーし、病院的には子宮頸管が長く下に赤ちゃんが降りてきていないらしく
お腹が張っても運動をたくさんするように、でないと予定日、正期産過ぎるよとのこと

(病院って不安にさせること言うの好きだよねーと思う(笑))

 
階段のぼりおり&2時間は歩いたほうがいいらしい。
毎日外に出かけて外は1時間(2~4キロくらい)、
室内は移動で歩いているけど
(ショッピングモールや電車の乗り継ぎ、階段のぼりおり)、
雨や台風で出かけられない日は、
雑巾がけやトイレや風呂掃除をしてスクワットの代わりにしている。で
もそれはあまり意味がないらしい。実際しんどくないし、疲れない。
 

そっかあ、じゃあ💡

ということで昨日、いつもなら近所のマラソンコース1周3キロを、

2周6キロにしてみました。

家からマラソンコースまで電車を使わず歩くから、

プラス1キロで7キロ、

2時間歩いてみました🚶🎵

お腹が張って張ってしんどいときは水を飲んで立ち止まって。。。
 
うわあお、時間も歩く量も2倍になるとしんどい(;´Д`) 
お腹が重いしーしかも2周目はまた違う景色に気づくけど(野良猫の軍団見つけた😸)、
同じだから飽きる(笑)
走ったら、30分くらいで1周回れるのになあ。
自転車なら楽チンだろうなあー。
ああ自転車、妊娠してから一回も乗っていない。
なんでこんな疲れるんだろー。
 
そうか、と気づく。
これまで散歩には目的地があったもんなあ。
駅まで電車を使わず行くぞとか、
ショッピングモールも買いたいものを見つけるまで座ったらアウトーとか。
掃除も終わりがあったしなあ😅
ラソンコース2周も目的はあるけど、なんだか違う。
誰かと喋りながらなら、何周でも行けそうだけど。
お腹の子どもと喋りながらだと疲労が勝ってしまう💦
マンションの最上階の部屋までエレベーター使わず階段のぼりおりもしてみました。
 

というわけで、

昨日は急にやりすぎたせいか家に帰ってバタンキュー🌀

お腹が張りすぎてしんどい(;´Д`)ハァハァ になりました😭 

日頃から運動している人からしたら大したことない運動量かもしれませんが(笑)
 
そして今日です。
今日はいったん元に戻しました(笑)
雨だったし、というのをいい理由に。
それもありますが、たまたま実母と昨夜連絡を取った時のことです。
 

私「運動して疲労困憊なんやけど、どれくらい臨月に運動してた?」

母「全く運動してない。あんたの時、予定日過ぎて30時間かかった」

私(してないんかい! でも産まれてるんかい笑)

 
そう、世の中、妊婦さんも色々なんです。
運動したくても入院していたりして運動できないまま出産を迎える人もいます。
体重が増えすぎて、難産だから!と注意されたまま出産を迎える人もいます。
でも大概、産まれています。

100人いたら100人のマタニティ生活、ドラマがあります。

 

まただ、私👀💦

影響されている。

自分はこのままじゃ間違ってる、ダメなんだって思ってしまった。

自分の中の「自然」を思い出せ!!

私、妊娠してから今まで自分がいいな、と思ったことはやってきたし、
これは違うな、と思ったことはやってこなかった。
なんだかんだ、食事も気を付けてきた。
ほぼ毎日ヨガだってしている。
グダグダ寝てしまう日もあるけれど、前向きに過ごして来た。
 

ここに来て無理してどうする??

いや、臨月は無理したほうがいいかもしれないけれど

(一般的には)。

毎日マラソンコース歩くのは私の性格上しんどいなあ。

でも、駅に向かって歩く距離を増やすのはできそう💡

階段のぼりおりも出来ないことはない。
でもお腹が張ってどうしてもしんどい時は休もう。
気分が乗らないときは、家でゆっくりしよう🏠
 

赤ちゃん下がってきてません!

と、数値上、画面上で見ると言われます。

そう言われると、え、そうなの? ダメなの?と思っちゃいます。

これまた、でも。
これは言える。

私は、日々赤ちゃんと付き合ってきたから思う。

着実に大きく成長しているのが分かるし、

下がってきている、産まれる準備をしているなあと実感しています👶

赤ちゃんだって、ちゃんと意思も意志もあるんです。

 

私にとっての「自然」とは?

をすごく考える機会になったマタニティ生活。

十月十日。
特につわりがひどいわけでも、自宅安静になったわけでもなく、
健康でここまで来れました。ありがたや🙇‍♂️
 
すごくジャンキーなものが食べたくて、
インスタントラーメンやファーストフードに走った時期もありました。
塩分がすごい梅干しラブ🧡な日もありました。
甘いものを求めてのアイスブーム到来もありました。
完全に清く正しい食生活なんてものはできませんwでした。
 

が、回り回って、

外食よりも自分の見た目にも美味しいとお世辞にも言えない料理が

一番落ち着くし好きだなと思えるようになりました。

外食すると味が濃かったり甘すぎたりで、しんどいなーたまでいいなと気づきました。
妊娠する前、特に20代の頃は暴飲暴食しまくってたなーと思います💣
 
運動も正直、妊娠する前のほうが断然してなかったです(爆笑)
自転車とか自動車も運転できたり、制限がないので楽してました。
そのくせ、たまにマラソン大会に出るため急に運動したりしてました。
妊娠してからは、基本「歩く」だったのでかなり健康的だったんじゃないかなと。
 

で、回り回って、

適度なストレッチやヨガ、散歩、掃除って気持ちがいいな、

感じるようになりました。

意味なくスマホを見てしまう、というのは今もありますが、
それもあんまり楽しくないなー目が疲れるなあ(ただの老化?)、
電車で人間観察しているほうが楽しいんじゃ、と感じるようになったりしました。
 

あと、睡眠は大切、すばらしい!!!!と心から思います。

浅い睡眠でなく、ぐっすりと眠れる睡眠ができた日は超幸せ✨です。

産後は眠れないとは聞くので辛いですが( i _ i )

枕も洗濯機で破壊してしまったのを機に、オーダーメイドで注文しました。
いや、もう枕大事です。
布団もダニ対策に掃除機で吸ったり干したり。。。適度にやってます。
 
はい、贅沢かもしれない人間らしい生活を送って来れたような気がします。
 

あともう少し。

あともう少し。

 

いちおう、その時が来る前に予告してねーとは伝えています。

どうなることやら。

なんとかなる。

 
 
 
 
 

「赤ちゃんをここで生む」と決めるまで③

「赤ちゃんの数だけドラマがある」

 
あらすじ
個人の産科病院で出産するのではなく、助産師さんに来てもらって自宅出産がしたい。
家族を説得し、助産院に転院。
しかし、助産師さんの都合が悪くなり自宅出産は叶わず、
またまた転院しなければならないことに。
しかも紹介されたのは総合病院でした。
 
 

助産師さんから紹介されたのは、

助産院が提携している総合病院

(住んでいるところからは離れています)でした🏥

まさかの総合病院。

お医者さんも助産師さんも忙しいだろうし
私の話なんて聞いてもらえるわけないと思いました( ;∀;)
提携している病院ながら一度も検査を受けたことがない病院でした💦
 
しかし、助産師さんからよくよく話を聞いてみると、
この病院の産婦人科は出産する人が少なく(婦人科がメイン)、
一人一人の産婦さんに手厚い。

勤めている助産師さんが

この助産師さんの助産院で研修を受けた人が多い。

お医者さんが、赤ちゃんが生まれてくるのを待つ人

(医療処置はできる限りしたくない)だと聞きました。

それなら一度自分の目で確認したいな、

となり病院に行ってみることにしました💡

 
すると、不思議なことに前の人気のあった個人病院とは違い、
すごく話を聞いてもらえ、ほっとしました。

色々転院したけど、

最終的に赤ちゃんがここがいいということなんじゃないだろうか? 

不思議な縁を感じて、私は「覚悟」しました。

 

よし、ここで生もう

 

最近、夫婦で考えたバースプラン(出産計画書)

というものを病院に提出しました。

その通りに行くわけはないということを承知で、

赤ちゃんが生まれるときに大切にしたいことを書きました。

指定の紙に入りきらなかったので、別紙で作成しました。
こんなことを言うと、一見、要望が多い人みたい(笑)に見えますが、
たいしたことは書いていないと思います。
 

私は赤ちゃんに意志があると思っているので、

これがしたい、したくないと伝えると、

確かに赤ちゃんに意志はあるし、それは分かると理解してもらえました。

たいていのことは🆗✌でした💓
元々、病院側も赤ちゃんが嫌がるような処置をしないとのことでした。
 

病院側も私たちと同じように

赤ちゃんが無事に生まれることを目指しているということを確認し、

私は私で必要な時は医療処置も考えていると伝えました。

また病院側は、今後、私が疑問に思うことや納得のいかないことがあれば

説明したいとのことでした🍀

 

ここで生もうと決めた時、

私は出産に関わる病院の人たちと短い期間の関わりかもしれないけれど、

ちゃんと気持ちを伝えて話ができる関係になろうと誓いました✨

元々医療アンチでもないし、こだわりが強いわけでもないのですが、
歩み寄ろう、お店とクレーマーみたいな関係は辞めようと。

誕生を迎えてくれる人たちが、互いに良い雰囲気であることが

赤ちゃんの望んでいることのような気がしたからです。

 
前の前の個人病院では、ちっとも話が出来なかったので、
これでよかったんだと思います。
自宅出産もしたかったけれど、多分赤ちゃんも心配だった❓
と思うので、こうなったような気もします。
 
今思うと、別に絶対自宅出産がしたいわけではなく、、
ただ、私は赤ちゃんをいい形で生みたかったのかなと。

それは方法は違えど、どの産婦さんも同じではないでしょうか。

正解も不正解もないと思います。

 
リーダーシップのあるスタッフのもと「生ませてもらう」、
出産に臨むスタイルもいいけれど(前行ってた個人病院がそんな感じかな)、
私は、馴染まなかった。自分で考えたかった。
 

「普通に生んでほしい」と簡単に言うけれど、

「普通」は人によって違うのではないでしょうか?

 
やっぱり導きなのかも、しれません(笑)
赤ちゃんには意志があるんですね😁

まだこの世に形としては生まれていないですが、

またまた何か起こしてくれそうです。

どんなドラマを次は起こしてくれるのか。
また転院か?さらに大きな病院に搬送とか辞めて😭

でも、私はできることはやるとして、

どんな結果であれ「覚悟」するしかありません💦

 

小さな子どもであっても、一人の人間。

胎児でも新生児でも意志はある。

親の思い通りにはならない。

それを忘れないようにしよう🚶

 

まだ出産は終わってないですが、

今に至るまで私を母にするために?色々導いてくれてありがとう、

と伝えたいです。

とにかく今は無事、正期産(臨月)に入れるように
身体を整えようと日々過ごしています。
身体だけでなく、気持ちも準備しようと。
 

お母さん頑張るぞ!←なんか違うな(笑)

 
以上、校正なしの赤裸々に綴った連載ブログでした。
 
おしまい。というより出産編に続く。。。