☆しんかなのブログ☆

元学校の先生、無職、そして母になる。〜世の中への社会研究〜

子どもを一人の人間として見る②

「優しくなんてない、空気が読めないでもない」

 

ブログによく産後落ち込んだときがあったと書いているからか、

産後うつ大丈夫?」

「育児はうまくいかなくて当たり前だから」

と心配の声を頂くのですが、私は出産が予想外すぎて落ち込んだのであって、

育児うまくいかないーーー思ってたんと違う(;_;)は当たり前すぎて、

意外と元気にやっています。

もちろん、出産を受け止められずそのまま育児へと並行してしまうケースも

たくさんあると思います。

私の場合は、出産直前から、入院なんでやねん!毎日注射とかないわ。

産後は母子とも離れ離れ、

お腹痛すぎて笑えない咳できない、勝手にミルク与えられるetc 。

もういいわ、育児にこだわりなんて要らないわ!!

捨てる!!!!!!!!!

きっとこれもギフト。

私が超安産だったら、育児が思い通りに行くように頑張っていたと思いますが(笑)

 

さてさて。

中学校の先生時代の同僚(同い年)と、先日久しぶりに会いました。

卒業生に卒業メッセージがほしいということでした。

先生たちからのサプライズでムービーでお届けするそうで、

近くのファミレスで撮影がてら、近況報告したのでした。

 

今、子育てしてますー

退職後は学校以外で学ぶ子どもたちに会いましたー

日本のフリースクールオルタナティブスクールを巡りましたー

市内で月1で居場所作りみたいなのもしていますー

 

というと同僚は

「しんかな先生、優しかったもんな」と。

何、私が優しい、だ?????

 

中学校の先生時代の私はどんなんだったっけ?

ちょっと振り返ってみる。

私は、新任の頃、市内で一番荒れた学校に赴任した。

一年目は、授業はほとんど聞いてない生徒ばかりだったし、

非行生徒の非行具合はすごかったし、

先生間もギスギスしていたし、とんでもなかった。

二年目からは担任を持ったりしたけど、

クラスをまとめるっていうのは難しい、向いてないーと思った。

 

それから数年後転勤。

市内でも最新の教育実践をしている中学校で

なぜか一年で一番大事な研究授業を私がやることになり、

しかも学級崩壊してる?自分のクラスで。

この年は、心身ともにかなり病んでいた。

 

そして転勤、今回会った同僚はこの中学校の先生。

私は2つの中学校を経験して最後の中学校では

考え方を変えた。

「教師としてどうあるべきか」にこだわっていたけど

「一人の人間としてどうありたいか」で生きよう、と。

 

私は、担任を持ちたくないと校長に伝えた。

副担任だから、自然と分掌(教科以外の学校の事務仕事etc 出張増える)も

多くなるけれど、自分にできるだけ会う仕事をした。

学校図書館がその一つで、本を整備したり選んだりは面倒臭いけれど、

本が好き、そうでもないような子どもが来たくなるように、

学校の先生が授業でもプライベートでも使いたくなるようにと。

休みの日に、図書館が素晴らしいという私立中学校を見学したこともあった。

新作の映画のリーフレットを図書館に貼るため映画館によく立ち寄っていた。

地域の学校司書さんと一緒に3年かけてつくった図書館は、

教室に居場所がない子どもたちの憩いの場になっていった。

ただ本を読むだけ。

ただぼーっとするだけ。

ただ私と話したいだけ。

教室では心あらずの子どもたちが、昼食後全力で走ってくるのだ。

廊下は走ってはいけないのに(爆笑)

 

図書館担当以外ではどうだったかと言うと。

教室や廊下でなんかあの子大丈夫かなーと思ったら、話しかけたり、

問題を起こし叱られた子どもの話を聞いたり、、、。

どの先生も心がけていることをしていました。

 

違うことといえば、

子どもが言うことでも最もだなーと思うことがあれば

「いいんちゃう」って言ったりしてたことかも。

例えば、非行少年少女が

「Youtuberになりたいねん」

って言ったら大抵の先生は

「勉強し。そんなん一部や」

っていうところを私は

「あ、そうなんやーへえー」

 

なんて言うと、

私は色んな先生が頑張ってくれているから言えるのであって

いいとこどりとか楽してると思う先生もいると思う。

いやいや、教師としてタテマエで接しないといけない瞬間は

毎日いっぱいあって、たとえば授業うるさいと注意しなあかんとかは

やっていました。

聞きたくなかったら聞かなくてもいいよーと心の中では思いつつ。

そのせいか普段から態度に出ていたところもありました。

 

そんな私を見抜き、

不快に思った先生に冷たくされたこともありました。

「空気が読めない」とも言われました。

そう言ってくる先生は「教師として〜」が口癖でした。

 

そんなかんだで自分のホンネとタテマエが違いすぎて

学校の先生を辞めたわけです。

※詳細はちょうど、去年の今頃

「学校の先生を辞めた理由」とブログに書いていたので良ければ読んでください。

 

退職してから、なんだかんだ連絡をとって会おうとしてくれる先生は

私のことを「優しい」とか「会うと落ち着く」とか言ってくれます。

 

不登校の子どもを持つお母さんが

「しんかなちゃんが校長だったら良かったのに」と言ってくれたこともあります。

 

でも私は別に優しくないし、癒し系(笑)でもないです。

学校に行ってない子どもに親切に接したこともなく、

むしろ私よりしっかりしているなと思ったぐらいです。

教師として頑張っていたときも「空気が読めない」と言われ空回りしていたし、

最後の中学校でも「空気が読めない」と言われました。

 

ただ私は、

「子どもを一人の人間として見る」を大事にしたかっただけなんです。

それだけだったなーと思います。

 

 

子どもを一人の人間として見る①

「してあげる、なんて傲慢」

 
現在4ヶ月になる我が子を育てていますが、
自分のやりたいことだってやりたいと思っています。
半年間で英語ペラペラになる💡は、

動機が家にいる主婦がなぜかペラペラになったらオモロイやろ~🎶

いう単純なもの。

 
たまたま私の周りが英語が達者な人(ワーホリや留学やら国際結婚やら)ばかりで、
なんで自分は喋れんねんやろ
(英語の成績はずっとよかったし、英会話教室も幼稚園から7年行ってた)
と以前から思っていたのもあります(笑)
 

勉強しなきゃ💦、義務になったら辞めちゃおうと考えています。

遊び、遊び~😆って思いながらやってます。

 
あとブログも少しずつ更新したいなと。
 
今日のテーマは「子どもを一人の人間として見る」。
そんなの当たり前でしょ、って思われるかもしれません。

が、大人って管理する、保護するっていう立場になると

そんな風に見られなくなるときが多々あるんじゃないかなと。

 
私の経験から考えてみます。
一つは我が子の妊娠、出産と日々の育児から。
二つ目は学校の先生時代から。
 
一つ目は、ブログにも散々書いてあるのですが、

私は妊娠中に子どもにとってベストな産まれ方(医療介入少ない出産)

を考えて、助産院に転院したり運動したりしましたが、

出産は予定日をかなり超過して医療介入バリバリ。

卵膜剥離➡破水➡促進剤➡陣痛➡帝王切開のフルコースでした💦
 
単純にお腹で大きくなりすぎていたことが原因だと思うのです。
素人だから何とも言えませんが、
これに関していえば今は落ち込んでいなくて、
むしろ出産までつわりもなくマイナートラブルなく育てられたこと
母体死亡率が10倍にはね上がる手術で出産し生還できた自分によう頑張ったと。。😭
 

我が子は、私の努力や気持ちを出産から裏切り(笑)、

日々の育児も乳児湿疹がめちゃひどくなり、

ステロイド使いたくなかったのに

ステロイドを使わざるを得なくなったり、、、

時間がかなり空いたからと授乳をしようとしたら全力で泣かれて拒否されたり、
飲みたくなったら急に密着してきたり(笑)なんで今❓みたいな
 
よく思うのは、赤ちゃん、小さな人間であっても立派な一人の人間なんだなと。
いやなものはいやだし、意志がある。
私が大人が決めてあげなきゃと思いがちだけど、、、。
 

出産から、妊娠からかな。

私の身体は、宿り木みたいなもの。

産まれるまで身体を貸していただけで。

手術したくなかったし抗ってはみたけど、

最終受け入れるしかなかったなと。

我が子は、医療介入バリバリで産まれたかったし、
予定日と1週間後の台風の日は回避したくて2週間後の秋晴れを選んだ。
しかも家族が全員揃う土曜日。
 

だって、私じゃないもんね。

我が子の強い意志でその産まれ方になった。

私は、予想外の手術で産後めっちゃ落ち込んだ時期があったけど、
自分のせいだとか、こんな出産いやだーとか。

それって思い通りにできるって思っていたってことで。

子どもを一人の人間として見てなかったってこと。

見てなかったわけじゃないから、努力してたんだけど

空回っていたようで。

 

私はきっとこれからも振り回される。

いや、我が子を思い通りにしようとして、反発され、

あ、違う~ってなるんだと思います。

 

だったら

尊重してあげよう。

してあげる、なんて傲慢で。

 

信じるだけでいいってこと。

一人の人間として見るだけ。

 
育児マニュアル通りにしようなんて思わなくていい。
 

個性。

その子を見て考える。

 
こう言うと

私、大人ばかりが気をつかってるように見えますが、

赤ちゃんも私のことをめっちゃ考えてくれてるなと日々感じます。

私が何か集中したいとき、
ここぞという時寝てくれていたりします。

このブログ書いてる時とか(爆笑)。

 

The feeling ′s mutual.➡お互い様。

 
長くなってしまいました。

学校の先生時代のことは、また次回🎶

内容は、最近、現役の先生と喋ったよーで思ったことです。

 
 
 

 

確かに産まれたんだ〜帝王切開ママの会に行って〜

「受け取れる人だったから」

 

 

4ヶ月の我が子を連れて「帝王切開ママの会」に行ってきました。

しかし、その日に限ってギャン泣きで序盤、話が聞こえず。

でも参加者のベテランママさんに抱っこしてもらい爆睡。

さすがです、新米すぎるママは脱帽です(笑)

 

※そもそもなんで開くことにしたのか(知らない人は読んでください)

私自身が昨年秋に緊急帝王切開で出産したことから、

産後それで落ち込んだ時期がありました💦

今は前向きに育児を楽しんでいます✨

その事から、もしかしたら私みたいにモヤモヤしてる女性がいるかも。

帝王切開でなくても、自分の出産について話したい人がいるかも?

とある開業助産師さんに、モヤモヤがあると電話で相談をしているうちに

このような会を開こうとなりました。

プライパシーに関わる問題もあるので詳細はお話できませんが、

私が感じたことを今回書きます。

 

産後うつ

流産。

予定帝王切開

緊急帝王切開

切迫早産。

陣痛促進剤。

微弱陣痛。

不妊

無痛分娩。

超難産。

計画出産。etc

 
帝王切開ママだけでなく、会にはそうでないママもいました。
出産経験のないプレママも。

こんなにもあらゆるキーワードが出るとは思ってもいませんでした。

 
 
帝王切開したママは、

「女性としての喪失感(普通に産めない)」

「ママ友の間で出産の話になると口をつぐんでしまう」

 
持病のため計画出産(産前すごく頑張った)になったママは、

「産後のしんどさを想像していなかった」

 
プレママは、

「出産に対して怖いイメージがある」

 
皆さんそれぞれ何かしらモヤモヤを話してくれました。
帝王切開したママの気持ちは、
現在も今後も私が向き合うことがあるだろうなー
と感じました。
 
同時にこんなことも。
 

「新しい命が生まれる」ということはそれだけで尊いし、すごい。

でも生まれるのは命だけではない。

いろんな気持ちや、人間関係の変化があったりする。

新しい命は暮らしや思考だって変化させる、ということです。

 
これは、私が妊娠中に観た映画「うまれる」のテーマでした。
何組かのカップルが命を授かる。
産まれるまでにいろんなドラマがある。
 
中には出生前診断で胎児に染色体異常があると言われ、
長く生きられない命と分かった上で産んだ人たち。
 
中には長年の不妊治療で体外受精が成功(命を授かった)したものの
お腹の中で育たなかった(着床しなかった)人たち。
 
体外受精が成功した彼らは言う。

「育たなかったかもしれない。

でも私たちの中に確かに産まれたんだ」と。

(そんな感じのセリフでした)
 
私は、この会に偶然にも集まったママたちは、

今日のこの日を、

集まったみんなの話を受け取るべくして

受け取っていると感じました。

 

そして私の場合は、

我が子が帝王切開で生まれることを受け取れる人だったから

そうなったんだと思いました。

他の人たちも、

その出産を受け取れる人だったからそうなったんだと。

 

帝王切開じゃないと産めなかった。

促進剤を使わないと産めなかった。

計画的に妊娠しないと産めなかった。

流産を繰り返さないと産めなかった。じゃない。

受け取れないからそうなったんじゃない。

 
良い悪いのジャッジをするから、
安産じゃない私はダメだったんだ!!
医療介入した出産は努力不足だったんだ!とかなってしまうわけで。
 

本当は、よい悪いは無くて。

自分の身に起きること全ては良くなるようにできている。

最終的には。

 

受け取れなかったんじゃなくて、受け取れたから。

そう。

受け取れる人だったから。

 

受け取れたから、新しい命が産まれたから

この会に来たママたちにはそれぞれの今がある。

この日もまた何かを受け取って

それぞれの今へと歩いていく。

 

私は、もう多分このような会に行かなくても大丈夫。

帝王切開であったことを否定的に思わない。

(思う時もあるかもしれないけど)

 

ずっと前から、我が子が生まれてから気づいていたけど、

これでよかったのだ。

全部うまくいっている。

いろんなものが確かに産まれた。

私はそれを受け取れる人だった。

 

これからも生まれていく何かをただ受け取って行く。

大丈夫。

私は今もこれからも幸せで、前からも幸せだった。

 
 

とりあえず今日も生きています笑

この会を開いてくださった助産師さん、

参加者の皆さんありがとうございました。

何より、今の私を支えてくださる(った)

多くの人たちありがとうございます。

 

ちょっとスピュリチュアルっぽい思想かもしれないけど、

そんなこと知らない私が素直にそう感じています。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

本日、完璧なブログはやめた

「だらだらと思うことを書いてみた」

 

今日は、ランチ(爆笑)?にお友達といちごパフェ🍓を食べました。

その後は、月に1回の茶道へ🍵

4ヶ月の赤ちゃんを夫に預け、4時間ほどリフレッシュ🌟

一度にたくさん飲めるようになり、授乳の間隔が空くようになりました。

夫、いつもありがとう。

私に土日を作ってくれて(^-^)

もちろん交代制で留守番です。

 

来月末、土曜日に不登校のことでお話する機会をと、

仰っていただいています(ありがたい、やりますー!!)

が、場所が京都で、電車で1時間半🚇

往復3時間。

お話が1時間ほど。

5時間ほど夫に預けることになります。

(電車の遅延なく帰れれば)

 

赤ちゃん、我が子は哺乳瓶嫌いの母乳っ子。

来月から離乳食を始めるとしても、母乳はいつも通り。

やっぱり、連れて行くしかないのか。

桜の観光シーズンの京都に遠出していいものか🌸

夫についてきてもらえるよう頼むか、、、

5時間、長くみて6時間も授乳しないってむずかしいのでは

車で送迎(私だけ)は、逆に電車より遅い可能性もあるしなー🚙

 

今の所、一時保育は6ヶ月過ぎないと(認可保育園は)ダメだし、

そもそもミルクのめない時点で問題外。。。

紙コップ授乳も泣かれ、、、

 

今後、状況によっては預けることも考えて

哺乳瓶の練習しようかなーと3ヶ月検診で保健師さんやお医者さんに相談しました。

 

すると、

今さら哺乳瓶は乳頭混乱するかも?、

カップ授乳か離乳食練習かねてスプーン授乳は?

離乳食始まるし、卒乳まで待とう。

長時間のお出かけのさいは連れて行くしかないねとのこと。

 

と、預ける先は現在夫のみ。

と、最近は外気浴として、

平日は近所もしくは休憩はさみつつ30分〜の移動なら

抱っこでお出かけです🌞

今は親子カフェも少しずつできてきたしランチも可能。

 

2人目、3人目なら言わずもがな、上の子のお迎えやらで遠出なんて普通。

1人目だし、インフルエンザ流行してるから心配とか、

 

制限かけているのは私だけなんでしょうけど(^_^;)

 

自分ぐらい大切な、自分以上に大切な存在。

一人の小さな人間と、どうやって暮らしていこうか。

夫婦2人の時との暮らし方とはまた違う。

 

外出先でもできるよう、授乳ケープ使っての縦抱き授乳は家で練習中🏠

赤ちゃん預けて夫と2人でデート(外食)はまだ先の話としても

春に3人でお花見、ピクニックぐらい🌸はしたいな。

 

育児不慣れなので、少しずつ少しずつ笑

うん、できるよ。

来月末連れて行くか行かないかは考え中です。

 

どうなんでしょう?

意見求むーーーーーーーー

 

 

 

ここで産むと決めてから〜母になるための選択 最終章〜

私は、今までの人生、自分が選択してきたことは正解だと考えている。

あのとき、ああすれば❕と直後は思い悩んだりもする。

けれど時が過ぎれば、納得する。

諦めではなく、それが自然な形になっていると気付くのだ。

私は直感で選択することも多いが、

研究癖(知りたがり屋というのか (興味があることは調べたい)があるので、

調べすぎて頭でっかちになり悩むことも多々ある。

「安産、命を懸ける、幸せな出産とは?」

今回の出産もそうだ。
私の出産エピソードを何回かに分けてブログに綴っているわけだが
なんで落ち込むんだ分からんと思う方もいると思います。
帝王切開になったとはいえ、母子とも健康なわけなのに。
ちょっと贅沢なんじゃないの?と。
帝王切開は今、5人に一人の時代で特別じゃないよと。
 
2週間にわたる産前産後の長い長い入院。
毎日健康なのに採血、検査、点滴、病院食。
出産当日は、下半身は動かず赤ちゃんとは離ればなれ。

傷が痛んで起き上がれず、明け方にナースコールを押して、

赤ちゃんを預けて情けなくなった。

入院中、分娩室から聞こえる産声に悲しくなった(私は手術室)。

初めての入院生活に、すっかり心が病んでいたところはある。
身体でなく気持ちが苦しかった。
 

早く家に帰りたい。

でも赤ちゃんを一人で世話できる自信がない。
でも病院なんて大嫌いだ。
でもナースコールがついている家に帰りたい。
 
入院中、助産師さんに愚痴りまくっていた。
予定日超過は病気じゃない❕
切らなくてもいい方法はなかったのか?
私は一生普通に産めないんだ、とか、、、
※経膣分娩はできなくもないが、
リスクが高いので、一度切ると次も切るほうがいいとされている
 
産後も前向きに育児をしながらも、ふと出産を思い出し、

モヤモヤしたときは夫や母に吐露していた。

誰の慰めも響かない日々が一ヶ月は続いた。

 

自分の出産を「失敗」だと思っていたせいで引きずった。

自分の研究癖が仇になった。
お産に興味があった私(産院変えてたことから分かるように)は、
いろんな本を読んだし、ママ友に経験談を聞いた。
もちろん帝王切開になった人の話も聞いていた。
でも、自分がそうなるとは思わなかったし、
本の影響で帝王切開や吸引分娩といった異常分娩はあってはならないと考えていた。
 

帝王切開の子どもは身体が弱い。

難産になる産婦は努力不足。

帝王切開では真の「女」になれない。子どもに愛情が湧かない。

帝王切開は命懸けではない、幸せな出産ではない。

 
など。極端な思想だ。
帝王切開だって「立派な出産」と頭では思っていたけれど、
どこかでそうかもなと納得していた自分がいたのだろう。
 

だから、すっごく落ち込んでいた。

私は妊娠生活が間違っていたのかな、愛情が湧かないのかな、と。
自分の研究癖のせいで苦しんでいた。
 

でも、今はそれは違うんだと言える。

 
私は努力して出産にのぞんだ
命を懸けて手術台にのぼった。
あの選択はベストを尽くした上だ。
破水3日目で感染症の危険があった。
充分降りてきていない赤ちゃんに、
強力な促進剤や吸引は危険だったかもしれない。私自身も。
 
赤ちゃんは健康で順調に育っている。
毎日かわいいと思って育てられている。
家族も友達も色んな人たちが赤ちゃんの誕生を喜んでくれた。
育児は分からないことだらけで正直不安になることもある。
これからも度々不安になるだろう。
でも支えてくれる人がいるし、一人じゃないと思える。
 
夫は、愚痴る私にずっとかけてくれていた言葉がある。

「今回の出産は成功だ。産みかたは少し違ったかもしれないけれど、

10ヶ月も長い間、赤ちゃんが健康なままお腹にいることができた。

それはすごいことだよ」

 
今はそうか、私の出産は失敗じゃないんだと、その言葉を受け入れられる。
 

今回の帝王切開だって、

安産だったし、命を懸けていたし、

幸せな出産だと赤ちゃんに気づかされた。

 

そもそも出産に優劣なんてない。

失敗なんてない。

全部成功だ。

 
自宅だって病院だって、
分娩台だって、手術台だって、どこで産んだって、
どんな産み方であったって、
赤ちゃんが病気を持って産まれてきたとしても、

命の誕生というのは奇跡だ。

幸せなものだ。

 

赤ちゃんの私へのギフトは「幸せな出産」だった。

思い返せば、そうだった。
確かに私は産前産後、精神的につらかった。
 
でもあの日、帝王切開の手術の日。

赤ちゃんが誕生した日、

私は人生で一番幸せだなと思った。

誕生した瞬間、つらかった時間が全部吹き飛んだ。
 
手術の執刀医と、取り上げてくれた助産師は、
ずっと担当してくれていた人たちだった。
いろんな産院を転々としてきたけれど、一番話を聞いてくれた人たちだった。
また、麻酔医に手術前、産まれる赤ちゃんの名前は❓と聞かれ、
名前がたまたま、その人の幼なじみと同じだった(我が子の名前は少し珍しい)。
手術だけれど、アットホームな感じがした。
 
土曜日だったこともあり両家の家族が来てくれた。
手術の無事を祈ってくれていた。
お疲れさま、おめでとう。
新生児室のガラスの前で、私が一番に赤ちゃんを抱っこするのを待ってくれていた。
 

初めて抱っこした時、体は小さいけれど、どっしりと命の重みを感じた。

その時、赤ちゃんはこうやって色んな人たちに祝福されて

産まれたかったんだなと思った。

いや、違う。私にこの景色を見せたかったんだなと。

 
予定日は台風直撃の日だった。
1週間後も台風の予報だった。

13日目は見渡す限りの金色の稲穂が広がるような、秋晴れだった。

 

赤ちゃんが産まれる日を選ぶっていうのは本当かも。

お母さんを幸せにするために産まれてくるっていうのは本当かも。

 

考えすぎて調べすぎて、頑張りすぎてガチガチになってしまう私を

助けに来てくれたんだね、きっと。

「生きているだけですごいんだよ」

「幸せは身近にあるよ」

 
と思っていたのに、産後は落ち込んでしまったけれど思い出した。
こうやって書けるときにブログを書き始めるうちに、
赤ちゃんは生後2ヶ月を迎えようとしている。
 
できればお腹を切りたくなかったな、という感情はまだ残るけれど、

手術前の「出産はもうこりごりだ」という気持ちは今はもうない。

また機会があれば、命の誕生の瞬間を見たいと思う。

自分じゃないかもしれないけれど。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

ここで産むと決めてから~母になるための選択②~

「まだお腹の中にいたい」

 
現在、すくすくと成長する赤ちゃんの育児に明け暮れる毎日を送っています。
赤ちゃんを見ていると、無条件に可愛く愛しいなと思います。

同時に今ここに存在しているならば、

産まれ方なんてこだわる必要はないとも。

そんなことを忘れるくらい、

生きるということは慌ただしくパワーがある。

生きているだけ、命があるだけで素晴らしいと思わせてくれます。

 

41週6日の早朝。正期産最終日。

今日産まれなければいけないタイムリミットの日。

予定日が間違っているのか(妊娠前の生理日は記録していたから間違いない)、
病院から逃亡して一人で産もうか、
入院中悶々と考えたが、私は逃げずにここにいた。
陣痛で一睡もできなかったが頭はしっかり働いている。

決断しなければ。

促進剤を打つのか、元気なうちに帝王切開か。

 
この決断は合っているのか?
正直、自信がない。
赤ちゃんはそれでいいのか?
でも、それしかないと思う。
 
口に出して言う勇気がない。
時間が止まればいい。
いや、戻ってほしい。
ただお腹の中にいるだけで幸せを感じていた日々に。
 
どこからやり直せば、今ここを悩まなくて済むのだろうか?
私の何がいけなかったのか?
 

陣痛はすでになかった。

というよりも、私自身が「陣痛よ、止まれ」と一晩ずっと願っていた。

止まってはいけないはずなのに。

 
昨日から陣痛が起きても無意味な気がしていた。
薬で無理に陣痛が起きているだけ。
赤ちゃんは降りてくる気がないんじゃないかという気がしていた。
実際どんなに促進剤を使っても心拍は変わらず元気だった。
助産師さんが赤ちゃんの心拍を確認しに来た。
 

その時、左胸の下あたりを赤ちゃんが足で蹴った。

臨月に入る前からよく感じた胎動だった。

もう正期産最終日なのに、なぜそんなに上にいるのか❓

 
心拍を助産さんが取るときにも不思議なことに、
赤ちゃんが昨日とは逆の位置に心臓があった。
 

つまり、まだ骨盤に頭が十分にはまっていない。

赤ちゃんはお腹の中で動く余裕があるのだ。

 
その時、どの選択をするか決めた。
 
そうか、わかった。

まだお腹の中にいたいってことなんだね。

本当はお腹の中にいさせてあげたい、できれば。

自力で出てくると信じて待っていたい。
離れたくない。
 

でも医療の、大人の、私の都合で今日出てきてほしいんだ。

あなたが元気なうちに。

私が会いたいからさ、ごめんね自分勝手で。

 

だからあなたはもう頑張らなくていいよ。

出たくないのに無理に苦しい思いはさせられないよ。
陣痛を無理に起こされたり、引っ張られたり嫌でしょう。
 
 

だから私が全部リスクを背負うよ。

本当はお腹を切りたくないけど切るよ。

手術による副作用も、術後のデメリットも全部受け入れる。

決めた、覚悟した。

 

あなたの命が手に入るならそれでいいや。

 
胎動を感じる前から、私は帝王切開を選択していた。
でも、言いたくなかった。
でも、胎動は迷いを消してくれた。
 
医師と最後のエコーを見た。
予想通り、促進剤を使っても赤ちゃんは降りてきていなかった。
 

「私、帝王切開します」

 
医師に伝えて30分後に手術が始まった。
 
もうすぐ会えると思うと嬉しかった。
人生で初めて身体にメスを入れる。
 
覚悟はしていた。
でも動かないように両腕をベルトで縛られた時、怖いと思った。
涙は拭けないけど、一筋涙が流れた。
 

あーあ、もう逃げられない。

あーあ、もう下からは産めない。

あーあ、一生傷は残るんだなあ。

あーあ。

あーあ。

 
処刑前の人って、切腹前の武士ってこんな気持ちなんかなあ❓
 

昨日までの私は死んだ。

約30年生きてきた私は今日死んだんだな。

大げさかもしれないけれど、その時はそう感じていた。
全身麻酔でなく、下半身だけの麻酔だった。
うまく麻酔は効いた、痛くはない。
でも何が起きているか分かる。
あ、切られた。
 
戻れない。
つらいな。
もうすぐ会えるんだ。
楽しみだな。
元気かな?
大丈夫かな。
 
一睡もしていない。
何も食べていない。
ものすごく眠い。
意識が朦朧とする。
けど絶対寝ない。
 

今起きていることを覚えておきたい。

赤ちゃんの第一声をひとつも逃さず聞こう。

 
いろんな気持ちが入り交じっていた。
 
そして、無事赤ちゃんが誕生した。
手術台の私の耳元に連れてこられた。
抱っこはできなかったけれど、一瞬だけベルトを外してもらって触った。
元気に泣いていた。
 

「やっと会えたね。

て、なんで出てこなかったん?」

 
それが私が最初にかけた言葉だった。
のちのち笑い話になりそうである。
 

赤ちゃんが幼児くらいになったら

出てこなかった理由を語ってくれる日が来るだろうか?

迷子だったのか、

ただ、お腹の中にいたかっただけなのか。

 

「大人の決めた期限なんて知らないよ。

こっちにも都合があるんだ」

自分のペースを貫く赤ちゃん、我が子はきっと大物になるだろう(笑)

 
正期産というリミットがあるのは、
それを過ぎると胎盤機能が低下するからだそうだ。
私は術後、自分の胎盤を見た。
大きく立派で劣化はしていないそうだ。
来週も大丈夫だったのかもしれない、なんてね。
 
出てこれなかった理由を、
医師はレントゲンでは赤ちゃんの頭が少し大きく、
骨盤ギリギリだったからかなと言っていた。
けど、私はレントゲンで実際どうなるか分かるもんかと思う。
 
単純にお腹の中が居心地がよかった。
赤ちゃんが出たくなかった。
私にはその解釈のほうがしっくりくる。
 

帝王切開も赤ちゃんにとっては予定通りだったのかもしれない。

最初から、いや途中からかもしれないけれど、

そうやって産まれたかったんだろう。

 
うん、そのほうが納得できる。
私は妊娠中、産まれる時は医療介入しないほうがいいのかなと
考えていたけれど、それは私の願いであり、こだわりだった。
そう、赤ちゃんの願いは違っていたんだ。
 
当時を振り返りながら、今ならそう思える。
 

少しはふっきれた?

いや、まだ頭の中での理解で、気持ちは追いついていないかな。

正直、なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだと思っている(笑)

 
するっと苦労なく産む人だっているじゃんって。
思った通りのお産ができる人だっているじゃんって。
量子物理学?
無意識に引き寄せたんだろうって?
なんじゃそりゃ。勉強不足か。
お産について考えすぎたから罰が当たった?
あーあ。もう、、、
 

やりたくないことを受け入れるのには時間がかかる。

ただ今回のことは、私に予想もしなかった景色を見せてくれた。

妊婦から、母のスタートラインに立つには必要な経験だった。

赤ちゃんがくれた「学び」、「ギフト」なんだろう。

 

ここで産むと決めてから〜母になるための選択①〜

「予定日超過が病名だった/信じて待つということ」

 

妊娠中、お腹の赤ちゃんにまつわる夢をよく見た。

ひとつめは、私に似た赤ちゃんの笑う夢。これは、結構あたっていた。
自分でも分身かと思うぐらい(爆笑)
二つ目は、いつ産まれるか日にちを予言する夢。
これは予定日超過四日目だったから外れた。
実際は超過13日目(正期産ギリギリ)。

三つ目は、産まれてこないから一生妊婦の夢。

お母さんになれない夢。

まだ妊婦なの?と人から言われていた。

 
最後の夢は、臨月に入る前後よく見ていた。
なぜか不安になって、何人かに話して、まさかーと笑っていた。
誰かが昔流行った少年漫画(「封神演義 ほうしんえんぎ ※中国の明時代の小説」)に
3年間お腹にいて産まれた宝貝人間(パオペエにんげん)いたねー
だとしたら最強の力を持つ人間になるね、としみじみ言われた。
ということは大物になるね、と私は返した。
 

しかし、正夢になるとは思わなかった。

 
正期産に入って病院の検診は週1になった。
そのたびエコーで赤ちゃんの子宮口への降り具合を見ていた。
 

38週。前回とあまり変わってないね。運動続けてね。

39週。子宮口は柔らかくなってきたんだけどね。

40週。来週まで産まれなければ誘発分娩ね。

41週。促進剤無理なら帝王切開ね。

 

無事産まれてから、

42週まで、過期産まで自然に待てば産まれたのでは?と医師に確認した。

そして私に陣痛がこなかった理由は努力不足かと。

 
医師は、運動したからしてないからは関係ない。
骨盤が狭すぎるわけでもない。
一見、児頭骨盤不均衡だけど、そうとは言いきれない。
たまたま赤ちゃんの頭と骨盤の相性が悪かった。
タイミングがズレたというのか。
そういう赤ちゃんがあなたを選んだのだ。

来週になっても自力で出てこれないよ、死んでいたかもしれない、

長年の経験から言うと。

あなたの選択は賢明だったと思う。

これ以上努力できることはない。

 

赤ちゃんは誘発分娩で入院した初日、

エコーでみると降りる方向を間違えていた。

医師は切るしかないと断言はしなかったけど、そう思っていたと思う。
入院して翌日、微弱陣痛があった。また方向を間違えていた。

明日から促進剤の予定だった。

でも私はあと1日待てば正常に進路は戻るとなぜか思っていた。

そんな気がした。

この日は、41週3日。

5日目は促進剤を使うと約束するから

4日目は自然な陣痛を待ちたいと医師に伝えた。

母子へのリスクがあがると注意されたけど、それでもいいと言った。

 
入院してから病室では何度もスクワットをしたり、
寝る前はお腹が張るように乳房マッサージをした。
ベッドの周りを100回くるくる回ったりもした。
病室にはWi-Fiがなく、容量がオーバーし、携帯に制限がかかった。
入院中はネットもLINEすらできなかった。
誰かと連絡を取りたい気分にはなれなかったけれど、本当に孤独だった。
毎日泣いていた。
※産まれてからは少し余裕がでて、1kbだけ増やしてLINEをつなげた 
それでも人と連絡を取る気分にはなれなかった
 
促進剤を投与しなかった四日目の夜、破水した。
急いでエコーを見ることになった。

奇跡は起きた。赤ちゃんが正常な進路に戻っていた。

医師は、明日促進剤を使えば、切らずに産めるかもと言った。

 

信じて待ってよかった。

予定日を過ぎてから私は久しぶりに笑った。

もうすぐ予定日を過ぎてから2週間。
まだ産まれないの?と誰かに聞かれるのがしんどかった。
入院してからもっと疲れた。
 

やっと、報われた気がした。

夫婦で、この子はマイペースだけど

ゴールには確実に向かっているねと話した。

 
5日目は朝から夜まで陣痛促進剤を投与した。
強くなる陣痛に何度も吐き、胃液まで吐いた。
結局6日目の朝には陣痛はなく、分娩停止。
 
さらに促進剤を投与して吸引や大きく会陰を切る、
おなかを押すなどして赤ちゃんと一緒に体力の限界まで頑張るか。

ただ赤ちゃんに障害が残る可能性がある。

 
それとも私と赤ちゃんが元気なうちに帝王切開するか。
ただ私が一番したくないことだし、
一生下から産めないかもしれないし、傷は残る。

あらゆるリスクは私が背負わなければならない。

 
私の結論はとっくに出ていた。
でも、、、という思いだけが残り、後押しがほしかった。
 
6日目の朝、おなかの赤ちゃんがどうしたいか意思を示してくれた。
私はそれに従うことにした。不思議と何も怖くなかった。
 

やるべきことはやった。やってきた。

運動も食事も自分たちでできる範囲でやった。

でも皮肉にも自力では産まれてこれない。

医療の力をフルに借りるしかないのだ。

 

そうやって赤ちゃんが宿ってからトツキトオカ、二人で選択をしてきた。

産まれてからは別々の一人の人間の人生が始まるけれど。

 
私は医師と妊娠最後のエコーを見て、選択を伝えた。

この選択をしたから、今親子3人で笑っていられる。

私はなんとかお母さんになることができた。

 
次回に続く