☆しんかなのブログ☆

元学校の先生、無職、そして母になる。〜世の中への社会研究〜

命の話

生死を決めるのは運命?自分?

 

最近、「死」について考える機会が多いので思うまま書いてみます。

(うまく書ける気が全然しませんが、何となく伝われば嬉しいです)

「命は大切だ」「死は誰しも逃れることができない」etc という言葉は

子どもの頃からよく聞きますが、じゃあ具体的に自分の経験からそれらを感じたのは

いつ?と誰かに聞かれたら、私なら……といった観点から述べます。

 

確か、中3の頃、高校受験のために、地域の高校で外部業者の公開模擬試験を受けていた時でした。

なんと国語の文学的文章(小説)を読み終えた時、

涙で視界がボヤけて問題文まで読めなくなったんですね。

嘘みたいな本当の話で、

(試験の結果は忘れましたが)、これより先、国語のテスト問題で泣いたことはないです。

 

テスト問題の文章としては、

避けがちな「少女の自殺前夜」を扱ったものでした。

 

学校から帰って夕飯を食べた後、自分の部屋で少女は、今夜死ぬことを決意します。

いじめ、人間関係の悩みといったものから、解放されたくて少女は自殺を選びました。

数時間後と決意を固めている時、突然、台所から母と妹の温かい会話が聞こえます。

それは、最近元気のない少女のために、お菓子を作ろうといったものでした。

途端に少女は「私が明日死んでたら、家族はどう思うだろう」と思い、

「人間は生まれた時から、

「死を選べない」という見えない足かせが付いている」

(人は1人では生きられない、生きることは何か心残りを作ってしまう といったことを言ってるのかなーと私は解釈してました)

と悟り、自殺を思いとどまり号泣するのでした。

 

かなり古い記憶なので、曖昧なところが多いです。

一度ちゃんと読みたいと思って、作品のタイトルを覚えている頃に本を探したこともありました。でも未だに見つけられないという迷宮入りのお話 笑です。

 

長くなりましたが、なんでそんなに感動したのかというと、多分

私も少女の気持ちと似たような経験があったからです。

小学校の頃に私のクラスが学級崩壊していて、毎日、自分も含め誰かがいじめられて。授業も先生が1人で喋ってクラス中遊び回って。大人も誰も先生を助けない。

きっと先生も含めクラス中が傷ついているのに、学校を休むことはし(でき)ない。

学校を休むという選択肢はない(当時「不登校」という考えを知らなかった)。

 

ある日、私は家に帰って、

「生きていても仕方ない」「私なんて必要とされていない」と思い、

決して逃げることのできない日常から逃げる方法は「死」だと考えました。

そして、もし死んだら家族は?友達は? とも考えました。

死んでからのことなんて考えたって仕方ないことなのに。

 

一瞬、思考停止しましたが、生きています。

中3の試験の時は、そういったことを思い出して悲しくなったんでしょうね。

 

もし、小学校の時、学校に行かないという選択肢を選んでいたら、

勇気を持って「生」を選んだということになるのでしょうか。

私は、あの頃、学校に行くことが「生」、行かないことが「死」だと考えていました。

今は、どちらも「生」だと思います。

どんな選択をしても、見えない足かせがある。

でも生死を決めるのは運命というのか自分というのか。

他人が決めるのは違うのではないかなと思います。