☆しんかなのブログ☆

元学校の先生、無職、そして母になる。〜世の中への社会研究〜

16歳から20歳までの学習権、特に18歳から20歳の

「機会の平等、学びたいときに学べたらいいな」

 

日本では小中学校6年間は義務教育ということで、

各家庭の所得に関係なく授業料は無償、所得が低い世帯は就学援助金

(文具代、修学旅行費など)がもらえる。

 

高校進学は、公立私立とも授業料は無償。

民主党政権時は、私立は公立の授業料分を就学援助金、低所得世帯はにさらに上乗せだった。

しかし数年前に所得制限が導入、全体の2割の世帯は授業料有償に。

 

今や9割をこえる高校進学。

あとで返す必要のない奨学金(奨学給付金)は学習権を保障するので、良いと思う。

でも、所得制限が高校に限ってかかるのは、

本当の意味では学習権を保障したことにはならないと思う。

(子どもの学習権を保障するものだから、全ての子どもが無償になるべきでは?)

 

なんで今日は、そんな話をしているのかというと、この本の影響です❕

honto.jp

元文部科学事務次官の前川喜平さんの対談本✨

印象に残ったことから、考えてみたいなと思いまして。

文部科学省が官僚が、熱い思いで国の教育を考え動いてきたということが分かって、

私も熱くなりました(笑)

 

私が特に印象に残ったの章は、おおまか高校無償化は実現できているを前提として、

日本の社会は、誰もが中学卒業後の学習権は保障されているのか? 

という第3章です。

(興味があったらぜひ読んでください💓)

 

たとえば。

特別支援学級を卒業した中学生の進学先。(特に障害が軽い子どもの受け皿)

朝鮮高等学校の無償化。(訴訟にもなっていますよね)

学力が足りなければ行きたい高校、大学は断念しなければならない適格者主義。

 

特に18歳からは、高校卒業後の進学。高校中退後の進路。

中卒で就職した(かつての)若者の学び直し。

それらの経済的な支援、学ぶ場・機会は誰もが保障されているのでしょうか?

 

国の政策や多くの人々の努力で、いろんな法律や制度ができたりしているようですが、まだまだ誰もが学びたいときに学べる、「生涯学習社会」にはなっていないですよね。

 

私は、15年前高校生でした。10年前は大学生でした。

私は家庭の経済的な事情でどちらも在学中、貸与の奨学金を借りました。

高校の奨学金は昨年12年かけて返済しました。

大学のものは、まだあと10年以上、、いやもっと、、結構な額が残っています。

職になってしまったので、口座から毎月ゴソッと引き落としがあります。

(それを見るたび、ため息が出ます。働かないとダメなのかって)

 

もう借金ですよね言うならば。

でも奨学金制度があったから、進学できたわけで、

なければ中卒だったかもしれません。

だから制度に感謝というか良かったなと思います。

今なら貸与でなくても高校は支援金があるので、ちょっと恨めしいです(笑)

あ、でも制度が整っていくのはすごく嬉しいです😁

 

奨学金も働いていたんだから、まとめて払ったら良かったと今さら考えたりしますが、

現実的にはやっぱりいろんな事情があって難しく、一括では払えませんでした。

それだけ大学の学費が本当に高いなってことなんですけど^^;

だからこそ18歳からの学習権が保障されない、

特に経済的な理由で断念しなければならない状況には、なってほしくないです❕

大学卒業後に奨学金返済に苦しむなんてこともあってほしくはないですね。

大学も成績優秀者とかだけでなく奨学給付金があればなあと。

大学は学費が高いから難しいのかもですが。

 

高校進学も9割、大学進学も5割。なんとなくみんなが行くから行く。

意欲はない。親が無理して行かせる。本人が楽しくないのに学ぶ。

もしかして無理して奨学金を借りているかも。

あれ、これって私かも? いや意欲はあったはず(笑)

 

あの頃、奨学金制度がなかったら、自分でお金を貯めて、高校や大学に行ったかなあ。

いや、ヤル気を失って、社会のせいにしてくすぶっていたかも(笑)💦

 

高校に行ったから~ 大学に行ったから~、

○○になれた、○○に就職できたという

「結果の平等」は保障されなくてもいい。

みんな同じレール、画一的な学び、画一的な進路でなくていい。

学びたいときに学べる「機会の平等」がほしい✨

 

やっぱり

学びたいときに学びたいなあ私は。

そんな社会にしたいなあって強く思う。