☆しんかなのブログ☆

元学校の先生、無職、そして母になる。〜世の中への社会研究〜

一番悲しいけど的を射た言葉

「君の代わりはいる」

 

ある人は、あることを考えると眠れなくなると私に話した。

「自分が頑張っていること、悩んでいることって、

生きていることって結局、無意味なんじゃないかと思う。

考えると怖い」

 

その時、私は中学生だった頃の仲良しグループの友達が

「最近、ふと死んだらどうなるのか考えて怖くなる」と真剣な顔をして

お弁当の団らん中に打ち明けたことを思い出した。

あの頃、グループのみんなでバカにして大笑いしたっけ。自分の表情は見えない。

 

私はある人を嘲笑せず、ただ真面目に答えた。

「そうだね。悲しいけど生きていることってちっぽけで無意味だね。

私たちって本当はなんにもないんだよね」

 

世の中で、一番悲しいけど的を射た言葉ってなんだろう。

人を中傷する、侮辱するような言葉はたくさん在るけれど、

私が学校で働いている時で言えば、

「君の代わりはいる」

 

中学校に勤めていると、思春期の子どもから挨拶がわりのひどい言葉は

いくらでも聞かされたが、私は子どもでなく大人の、先生のものだった。

状況を誤解されるかもしれないけれど、これは私やある状況の人を励ます言葉だ。

 

ある状況とは?

私は8年の教員生活を振り返ると、「休職したい」と思いつめていたことが2回ある。

その時に相談していた先生は2回とも違うし、複数いるのだが、

本当に親身に私のことを考えてくれていたと思う。

担任をしていたから休むと迷惑をかける、学期途中に無責任なことはできない。

でも体調も崩しているし、精神的にも限界にきている。

 

「休んでいいよ。心配しなくてもクラスは回る。君の代わりはいる」

 

一番の思いやりの言葉を相手なりに考えてかけてくれたのだろう。

でも私はショックだった。

私がいなくても大丈夫だって証明されてしまうのが怖かった。

相手の先生の立場だったら同じ言葉を振り絞るだろう。

結局、私は一度も休職せず続投したのだった。

 

「心配かけてすみません。大丈夫です、もう少し頑張れます!」

 

学校現場では、心の病で休職する先生は珍しくはない。

だから、私は分かっていた。

重要なポストの先生が休職したってなんとか学校は回ること。

講師は見つかるし、見つからなくとも穴埋めはだれかがすること。

先生だけでなく子どもも新しい状況に慣れてしまうこと。

「子どもの代わりはいないけど、先生の代わりはいる」と何度も聞いたし、身に染みて分かっていた

 

またある人は、最近任せられる仕事が増えた、と私に話した。

「仕事で頼りにされているんだね、よかったね」

私は悪気もなく思ったまま答えた。

「違うよ、仕事をする人なら誰でもいいんだよ。

自分の代わりはいくらでもいる」

さも世界の常識でもあるかのように、ある人は疲れた顔をして話した。

 

自分の存在の意味がないなんて実感したくない。

人間、命があるもの全部、なんにもないんだって分かっていても。

悲しいじゃないか、言葉にしてしまうと。

 

「君がいてくれてよかった」

 

ある限定された状況だけでもいい。

たった一人でもいい。

そんな心地よい言葉が聞きたい。

 

「今生きていてよかった」

 

一瞬でもいい。

在るのか無いのか分からない自分が

思わずそんな言葉を発せられたらいい。