☆しんかなのブログ☆

元学校の先生、無職、そして母になる。〜世の中への社会研究〜

ポケモンでメタモンっていう変身するのいるよね

「乗り移る、憑き物が落ちる」

大学生の頃、教員採用試験の面接練習で、

「自分の長所をわかりやすく紹介する」というのがありました。

オチを言うと、みんなの前で発表して同級生にめっちゃ受けました。

今思ってもうまく説明できているような、なんか違うような(笑)

 

確か

「私は、相手の話に心を傾け理解しようと努めることができます。

聞いているうちに、まるで自分のことのように思うことができます。

例えるなら、ポケモンの「メタモン」です。

メタモンは相手の見た目も技もコピーすることができます。

さすがに見た目は変身できませんが、話を真剣に聞きます」

 

みたいなことを言いました。

印象に残ろうと思って、その当時即興で考えたものです。

同級生「採用試験でメタモンってwww」

失礼な、真剣に考えたのに(笑)おこですわ

 

実際これは使ってないですが、

採用試験は一発合格だったので問題なしですww

昔から度胸だけはあるのです。

 

と、今日の本題に入りますね。

私はあれから10年たった今もそう思っていない方もいますが(状況にもよる)、

自分では傾向として、だいたいの人の話を「受け入れる」かなと。

その時はとりあえず聞く。

言い返しはしない。共感する。

あとからどう思うか、どう咀嚼するかは別として一旦は。

そういう考えもあるよねと。

 

メタモンと例えた大学生の頃は、違うと思ったら言い返していたとは思いますが、

歳をとればとるほど、受け入れようとはしているかな。

 

中でも思いが強い人、話にパワーがある人、オーラがある人は

話が終わって、目の前からいなくなっても呑まれますよね(笑)

余韻が残るというか。

たった1回しか話してなくても。

これを世では洗脳とか、宗教っていうんでしょうね。

極端な話。

 

私は、たった1回でというのはある意味タチが悪くない気がしていて。

むしろ毎日、長期間、短期間でも徐々に徐々に「当たり前」になっていく、

そんな洗脳のほうが怖いなと思います。

「教育」がそうなのかもしれません。

 

 

人の話は、どんなに余韻が残る人でもいずれ無くなります。

自分次第ですが、私は自分なりに咀嚼することはできます。

 

何を信じるか信じないかは、個人の意志の自由です。

ただ「教育」って個人の意志で選べるものなんでしょうか?

知らぬ間に乗り移って、自分の考えのような気がしてきませんか?

そもそも誰しも自分なんて、自分独自の考えなんてないと思うんですが。

影響を受けて咀嚼していくもので。

 

「子どもを産んで人の意見に流されなくなった(たくない)」

「迷ってる場合じゃない。自分が子どもを守るしかない」

子どもを産んだ女性の話を聞いていると、直接そんな言葉を言っていなくても

「母は強し」だなーと感じることが多いです。

特に産む以前から知っている女性だと、変わったなーと以前と比べてしまいます。

最初からそうではなくて、そうなっていく女性が多いのかもなあと。

私は分からんなあー。

 

何が書きたかったか分からなくなってきました(笑)

「謙虚さと傲慢さの両立、その間をさまよう」

これが今の私の気になるテーマですね。