☆しんかなのブログ☆

元学校の先生、無職、そして母になる。〜世の中への社会研究〜

逆鱗に触れる言葉

「普遍的な魂の叫びかもしれない」

 

おはようございます。

最近やたらと眠くて眠くて、朝更新になってしまいました。

肌荒れもあるので、ホルモンバランスの関係でしょうか。

 

というわけで、昨夜から書きたいことがあったので、吐き出しますね(笑)

 

「やりたいことしかやりたくない」

と誰かに言われた時のあなたの反応はいかに?!

 

誰かが想定しにくいでしょうか。

選択肢を2つ用意しました。

究極の選択ですね(笑)

まあ、どっちかだと思います。

 

①「はあ? 権利を主張する前に義務を果たせ」

②「分かる。自分もそう思うよ」

どっちが回答に近いですか?

 

私は、学校の先生だった頃、私も含め先生方は、

子どもの「やりたいことしかやりたくない」の主張に、

「今やらなきゃ将来困るから」などと説得し戦い、

時には保護者を巻き込み、戦い勝利してきました(笑)

正しい道に強制してきたんですね。

それが「教育」、あるべき姿と信じて。

 

状況によっては、「やりたいことしかしたくない」は、

例えば犯罪とか人の権利を脅かすこととかは、戦う必要があるかもしれません。

 

と、そんな「○○先生の授業は受けたくない」とか「高校は行きたくない」とか、

子どもの主張をとことん切り捨ててきた私が、

子どもの気持ちを痛いほど味わうことになるなんて。。。

 

ある日、ある人に

「やりたいことしかやりたくない」と発言した私は

それがある人の逆鱗に触れてしまい、大論争になり、

縁を切らざるをえないんじゃないかという状況に追い込まれました。

(話し合いの結果、仲直りしました)

 

ある人の回答は、

「自分だって、やりたいことしかやりたくないよ。

でもそれはワガママだと思う。君は孤独になればいい」

でした。

 

①と②の選択肢のブレンド、あーんど発展系の回答ですね。

なんで、私がそんな発言をするに至ったかというと、

ブログをちょいちょい読んでくださっている人はお察しかもしれませんね。

 

私は、自分がずっとやりたくないこと、この時は主に学校の先生の仕事ですね。

やりたくないことを「お金のため」「世間体のため」などを気にして、

無理をして、自分の感情に蓋をしてやってきたことに疲れていたんですね。

で、退職して、抑圧していた感情を解放していった結果、

こんな発言が思わず会話の中で出たんです。

 

仕事をしないとか、何もしないとか、犯罪でもいいからやりたいことはするんだとか、

そういう意図はなくて、

ただこれからの人生は、例えば仕事に関していえば、

「自分が納得のいくことをしていきたい」と考えているんです。

言葉選びが、直接的すぎたのか(笑)、結果逆鱗に触れてしまったわけです。

 

ある人も含め毎日汗水働いている方々に言わせると、

「甘い。仕事は食べていくために我慢してやるものだ」

「やりたくないことをできるのが立派な大人だ」

かもしれません。私もそっち派だったので分かります。

間違ってはいません。合っています。

 

でも今の私は、

「自分の権利を封じ込めるような消極的な「我慢」はしたくない」

「自分のやりたいこと、相手のやりたいことを尊重するため、

全体の目標を達成するため など積極的な「我慢」はする」

と考えています。

 

デモクラティックスクールの考え方と似ているところがあるかもしれないです。

みんなの権利を守るためにルールがある。

やらなければいけないことがある。

もしルールを変えたければ、話し合いにより変更できる権利がある。

 

あれ、論がぐるぐるしてきましたね(笑)

あとで修正しますね。

 

我が夫婦の話で例えを出します。

夫にとって仕事はやりたくないことです。

私にとって家事はやりたくないことです。

でも一緒に共同生活をしていくためにはやらなくてはいけない。

私は、家事は嫌いではないですが、やりたくないなと思うときは、

「やりたいことになるよう工夫」してやるようにしています。

なんとかお互い納得し、やっています。

嫌になれば、話し合いをして改善も可能です。

(とはいえ、夫婦の共同生活って柔軟になりにくいデリケートなところですけどね)

 

でも世の中、話し合いできず「我慢」するのが多いかもしれません。

大人にとっての仕事や、子どもにとっての学校とか。

ルールを変えたくたって変えられない。

自分の主張よりも全体が「歯車」になることが優先される。

大人の仕事はまだいいかもしれませんよね。

お金という対価があるならば、我慢できるというか。

自分から退職という道も選べますし。

 

でもでも子どもは?「我慢」し続けなければいけないかもしれません。

「我慢」できなければ、「将来困るからの脅し」「大人からの叱責」があったりして。

子どもの「やり場のない気持ち」はどこにいけばいいんでしょうか?

ため続けているうちに、自分の気持ちが迷子になりそうです。

 

でもでもでも、

「やりたいことしかやりたくない」なんて思わず叫んじゃうと

逆鱗に触れてしまうんです。

そんな発言が出る原因は、たまりたまったものがあるからなのに。

 

うわあああああああああああああああああああああああああああ。

(我慢ばかりしている人の魂の叫び)

 

私はよく考えるんです。

「対話型」で仕事も学校もあればいいのにと。

そうなりたいなと思って、学校の先生だった頃、

教科のパートナーの先生に相談を持ちかけながら授業を考えていたら、

「あなたはどうしたいんですか?結論から話してください。

時間の効率が悪いんで。やりたいことが良ければ合わせますんで」

と怒られました。

まあ忙しいですよねー。対話なんてムダですよね。

人間関係を築きながら、私は仕事がしたかったな。

もっと話がしたかった。

そんな考え甘っちょろいんでしょうけど。

 

ある時、その人に本音を話したら、

「仕事だから仕方ないです」と返ってきました。

ですよねー。

もっと機械的にビジネスライクに生きなきゃダメなんですかね。