☆しんかなのブログ☆

元学校の先生、無職、そして母になる。〜世の中への社会研究〜

「いじめの構造」(読書の備忘録)

「みんなの「ノリ」は神聖にしておかすべからず」

いじめってなんで起きるの? という疑問を体系的にわかりやすく

解説してくれている本をもう一度じっくり読み直してまとめてみました。

 

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まず、これは私自身の「いじめ」にまつわる体験談を紹介します。

次の2つは今回の本で、よく出てくるワード、

みんなの「ノリ」が大事な群生秩序(あとで書きます)を表していると思うので。

話題の導入に。

では、今日も書いていきますー。

 

①高校生の頃の体験

学年で、いじめ自殺で子どもを亡くしたお母さんの講演会があった。

「いじめはいじめる者が悪い、いじめられるほうに原因があるというのはおかしい」

という熱のこもったスピーチだった。

講演会後、クラスで教に帰る時に、誰かがボソっと言った。

「いじめられるほうにも原因があるのに、何言ってるんだろう」

誰かがそれに対して答えた。

「ほんと、それ!いじめられるほうも悪いよね」

うちのクラスはいじめがあるようなクラスではなかったのに驚いた。

 

②小学校の同窓会での体験

小学校の頃、学級崩壊している時があった。

その頃は誰も先生の話を聞かないし、授業も受けず遊びまわっていた。

毎日私も含め、誰かがクラスのボスグループにいじめられていた。

大人になって、同窓会で私がたまたま、ボスグループの1人と席が近くになった。

彼が私を認知したと同時に発した言葉が

「あの頃、ごめんな。反省している。許してほしい」だった。

私は、今更やってしまったことはもう取り返せないよと思ったし、

今の彼に恨みはないけれど、当時の彼のこと、私のことを考えると、

「いいよ別に」と言えず、無言で彼を見つめるしかできなかった。

 

と、なぜか集団の中で「いじめ」って容認されてしまうという不思議がありますよね。

では、ここからは読書の備忘録です。

 

〜学校でなぜ「いじめ」が発生するのか〜

☆キーワード①「学校共同体主義

➡️朝から夕方まで「共に育つ関わり合い」を強制される

(学年制、学級制、班活動など近代の小軍団自治訓練)

 

A 身分不相応な振る舞いは大罪

「ボス」「取り巻き」「普通の人」「いじめられる人」

B 自分の「心」よりみんなの「心」が大事(協調性という名の社会性が重要)

C 政治的に「友達」と仲良くする

BCの(例)友達が誰かに嫌われると自分も嫌いになる(残酷で薄情な友情)

D 教育の論理>司法の論理(暴力事件があっても警察に通報しない)

 

☆キーワード②「群生秩序」

➡️群れのみんなの「ノリ」が大事にされる

(例)司法が及ぶ「市民生活モード」の時はやらないこと(特定の者をいじめる等)が学校や戦時中のように、集団の関わり合いが密であれば、エスカレートする。

 

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つまり「学校」という場所は、

自分がどう思うか、誰と仲良くしたいかではなく、

みんなの「ノリのきずな」が大事だから

「いじめ」が起きやすいってことなんですね。

 

 

6章では、群生秩序をはびこらす学校制度を見直すとあります。

短期政策 コミュニケーション操作いじめ(集団の密な関わり合い)を減らすために

・学級制度の廃止

・学校の法化(司法の論理の積極的な取り入れ)

 

中長期政策 学校を多様な価値観を認めることができる自由な社会に

新しい教育制度(義務教育と権利教育(教育バウチャー制))の導入

(例)生徒らしい校則で縛るのをやめる

   個人が「きずな」を結ぶ場所や人を選ぶ

   自分で学習スタイルを選ぶ

 

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新しい義務教育は、生きていく上で最低限の知識であり、

保護者が責任を持って国家試験を受けさせる義務があるものである。

試験に落ち続けた場合は、様々な学習サポート支援団体から手厚いサポートが受けられる。個人のペースで学習ができ、学校に強制収容されない。

教育でかかる費用は、国から教育バウチャーという、特殊貨幣が使用でき、収入の少ない人には多めに配分されるので心配はいらない。

権利教育(学問・技能・豊かな生の享受系)でもバウチャーは使用できる。

学問だけ、技能だけ、市民クラブのような個々のサポート団体もあれば、

3つを組み合わせた旧学校制度のような(ただし評価はされない)

集団生活をする団体もあり、個人が自由に学習サポート団体を選べ、所属できる。

 

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最後に筆者は、

特定の共同体や透明な社会(⇆何が良い生か、きずなかを個人で選べない社会)を強制されない社会で、人は安心して思う存分、ああでもないこうでもないと、

「遊動と着床」を繰り返し、他者と共に生きる試行錯誤の旅ができる。

また、そうして人は固有のきずな、自己形成ができると締めくくられている。

 

私のコメント

学校が悪いとかそんなことは思いませんが、

確かに、いじめを誘発するような環境にあるのは否めないです。

それを言うと、保育園とか幼稚園からも小ずるい戦略的な人間関係というのは

始まっているんじゃないかなとも感じます。

 

 

よく、学校は「社会に出てからの人間関係の勉強だ」って言いますが、

いじめられる人間は学校を休めばいい、転校すればいいというのも違うでしょうし、

大人になってからの職場はどうなんでしょうか。

究極、仕事は辞めればいいという話なんでしょうか。

みんなと仲良くを強制する必要はないでしょう。

みんなと同じを強制する必要もないでしょう。

 

「いろんな人がいていいんだよ」という考え方が日本には、

教育現場には足りないってことなのでしょうか。