☆しんかなのブログ☆

元学校の先生、無職、そして母になる。〜世の中への社会研究〜

日曜の夜の「永遠の出口」

「期限があるから頑張れるというか」

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「○○ちゃんは永遠に食べられないんだね。

あーあ、こんなに美味しいのに」

「○○ちゃんは永遠に見られないんだね。

あーあ、あんなに素敵な絵だったのに」

 

森絵都「永遠の出口」の主人公のお姉ちゃんの意地悪な口癖より)

※主人公は、この言葉が小さい頃からトラウマだった

 

「のに」に続く適切な言葉は、「かわいそう」だろうか。

「永遠」なんてこの世にあるんだろうか。

一生死ぬまでできないとか、一生このままの状態とか。

死ぬ前に、何かしら終わりは、期限は来るし。

「○○時まで」「○○日まで」とか期限だらけの毎日を送っている。

自分の人生という狭い範囲でいうなら、永遠に訪れない出来事もあるだろうし、

そのうちタイミングを見計らったかのように訪れるそれもあるだろう。

人間は欲張りで気まぐれだから、

「永遠」という状態を味わいたい時とそうでない時がある。

 

今日は日曜日。

明日はが月曜日。

仕事が始まる、学校が始まる。

ああ憂鬱だー。

♪サーザエさん、サーザエさん、サーザエさんは愉快だなードン(家に入る音)!!

ってなんでやねん!愉快ちゃうわ(笑)!!

サザエさんとじゃんけんで勝てばいいことあるかなー

と、しょっちゅう、こういうやりとりを繰り返していた実家での日々。

 

妊娠が発覚して、完全無職の主婦になって4ヶ月。

日曜の夜の憂鬱からは、サザエさんを観ていない効果もあってか、

かなり解放されたかもしれない。

永遠に続くと思われた大小ある憂鬱から。

と思ったけれど、出口はまだかもしれなく、

新たな「永遠の入り口」が出現したようだ。

 

最近の私の「永遠」は、結婚してから感じていた「家事の永遠」。

また、洗濯か。

また、ご飯か。

また、皿洗いか。

一人暮らしの人もそうだとは思いますが、

実家暮らしが長かった私には、重く感じたりするのです。

全部一人でやっているわけではないですが、

家事って休みがないし、キリがないと思うと「永遠」感が強く迫ってきます。

手を抜けるところは抜けばいい話ですが。

いずれ家事をしない日も来るはずです。

 

あとは「永遠」ではない期限があるけれど、「永遠」感がすること。

それは我が家で家族が増えるにあたって断捨離を平日実行していますが、

整理収納がいつ終わるのやらという「片付けの永遠」です。

♪どーこーまでもはーてーしーなーいー

そのうち終わるのでしょうが、なぜこんなにモノがあるのかという怒りが(笑)

私はモノは少ないほうですが、それでもトランクにはおさまらずで。

自分のモノは捨てたり譲ったりできるけれど、

自分以外のモノは不可侵条約なところもあって。

「スペース空けたい、動かしたい」と思えば直接交渉でなんとかするしかなく。

時には強行突破、破壊活動もありますが、

ヒト様の領域は無理だなと思うと、ますます、「永遠」感は麺増し増しで(笑)

自分のスペースと共有スペースをできる範囲で空ければ

「永遠の出口」かなと。

 

日曜の夜の「永遠の出口」は仕事や学校に行っていなくても「まだ」みたいです。

前回のブログの時間の考え方とは逆で「期限がほしい」という。

家の中には、明日仕事で打ちひしがれているサザエさん症候群の人間もいるので、

そんな姿を見ていると、なかなか「出口」感が湧いてこないものですね。

※写真は近所の紫陽花です。もうすぐ梅雨の時期ですねー。