☆しんかなのブログ☆

元学校の先生、無職、そして母になる。〜世の中への社会研究〜

「輝くとは何か」

「色々あっても楽しそうな人に」

私って何もない。才能もない。

 

縁の下の力持ちタイプでもないけど、

特に目立つこともなく、

周りの輝く人たちを「すごいなあ」

時には陰でサポートして生きていくんだろうなあ。

まあ目立ちたいわけじゃないけど、

可もなく不可もなく、日陰の人生だなあと思ってきたけれど、

そうでもないのかも?と考えるようになりました。

いつも通り長い文章になりますが、読みたい方はどうぞ↓です(笑)👏

 

 

親の教育方針で(本好きの子どもにしたい📖)、

小さな頃から本が充実した環境で育ったので、

図書館に行ったり文章を書いたりと活字が好きでした💕

小学生ぐらい?の頃から漠然と、

大人になったら絶対、小説家か(新聞)記者(自称を含む)

と結婚しようと決めていました。

声に出して誰かに言ったことはなかったけれど。

実際、現在結婚していますが、

夢が叶ったかはご存じの方はご存じで、ということで(笑)💦

 

 

とにかくも、文章を紡げる人に尊敬と憧れがありました。

そのせいなのか無意識だったけれど、

大学では大学新聞を書くサークルに入っていました。

でも、そこでは自分が文章を書いたり、

人の文章を読んだり校正したりして楽しむだけで、

そこにいた先輩同級生後輩とは4年間、

それ以後も一切、サークル仲間以上の関係に発展することはなく(笑)

結婚相手には至りませんでした🔙誰も得しない情報です

 

 

ある時期は、自分が憧れの人になればいいんだと思い、

新聞サークルに所属してみたり、社会人の文章教室に通ってみたり、

新聞社の就活をしていました。

でも違うなー別に文章うまくないし、うまくなりたいわけでもないし、

誰かに読んでほしいわけでもないなあと気づいたのです。

才能なんてないしなあー凡人だしなあー

私は集団で輝けるタイプじゃないしなあ。

人を輝かせる、それに生きがいを見出だすタイプかもなあ❓

 

 

それが大学卒業後に、中学校の先生になろうと決めた大きなきっかけでした。

はい、やっと本題に戻りました。

極端に言うと、

生徒のために自分が大変でも楽しくなくても頑張ろう💪って思っていました。

 

 

でも私だって欲深い人間なので、

生徒に「先生のクラスがいい」「先生が好き」とか言われたい、

いい評価をされたい。

私自身も「この仕事が好き(天職だわー)」「仕事もプライベートも充実してるー」とか思いたい、輝きたいという気持ちが常にありました。

 

 

何度もこのブログで書いてきたように(前向きな気持ちもあったけれど)、「先生が楽しくない」「いい評価がされない」

=輝いてない私ダメだ、と居心地の悪さを感じて退職したわけです。でも、それって思いこみだったんじゃと今は思うんです。

非常に狭い輝きの定義で。

例を2つ挙げます🍀

 

 

ひとつ。

私がもし(自称)小説家と結婚できていたとして。

 

その人が芥川賞直木賞を目指していて、

コツコツ文章を書いて作品を投稿していました。

だけど死ぬまでに夢は叶いませんでした。

書き続けただけでした。

私を含め身近な人に読んでもらったり、趣味仲間の小さな冊子に載るくらいでした。

 

この人はダメで輝いていなかったのでしょうか? 

いや、私は側にいて夢は叶わなくても楽しかったと思います💓

 

ふたつめ①

実際にあった話。

かつての私のクラスの生徒が作文を書きました。

タイトルは「将来の夢」。

生徒は将来、国境なき医師団のナースになって、

発展途上国で働きたいと書いていました。

それを知ったクラスメイトは「すげー」と絶賛していました。

生徒は鼻高々で、私にもドヤッという感じで作文を提出しました。

 

 

ふたつめ②

実際に聞いた話。

あるお父さんの話。息子の二分の一成人式(小学校で10歳の時に行う学校行事/親への感謝や将来の夢を語る)を参観しました。クラスメイトたちが「野球選手」「保育士」といった職業を将来の夢に挙げる中、

息子は

したい仕事は思いつかないけど、

家族や友達と過ごして今が楽しいと思います。

好きなことを仕事にしていて、

家で楽しそうなお父さんみたいになりたいです」と発表したそうです👨

 

 

と、「輝くとは何か」という話で。

別に華々しくて多くの人が評価しなくても輝けるし、

輝いてるんじゃないかなと私は今は感じています💡

 

 

学校で先生をしていたからこそ今よく感じることは、知らず知らず、いや、意識的に、凡人はダメ、評価されなくちゃ意味ないよ、すごい人になりなさい(でも適度に普通でいなさい)と大人は子どもたちにメッセージを刷り込んでいるということです

道徳を含め教科書に出てくる人物はいわゆる偉人ばかりだし。。(笑)

そのメッセージを受け取ったまま大人になったのが、かつての私かと

(だって30歳まで学校の世界しか知らないんだもの、と言ってみる)😸

 

 

凡人でもいいんだよ。生きているだけで丸儲け(笑)だよ。

国民栄誉賞とらなくたっていいんだよ。

学校目標にあるような、

明るく元気で挨拶ができる模範的な子どもにみんながならなくたっていいんだよ。

体育大会みんなで一致団結して優勝、と教室に掲示されていても、

違う行事や違うことで頑張ればいいんだよ。頑張らなくてもいいかもしれないし(笑)

 

 

狭い世界で評価されるから輝く、なんて変な話です。

それぞれ持ち味があるし、みんな輝いています✨

そこにいるだけで、何かしら影響を確実に与えていて必要な存在です。

 

 

私は自分を客観的に見ることはできないから、

自分に対して前向きな評価ができません。

でもいつも同じ近所の友達、毎日会うクラスメイト、学生時代の部活動やサークル、

毎日会う職場仲間。

固定された評価のある人間関係から少し離れた1年半

(退職してから色んな人と日々出会いました)。

どの人も素敵だと思いました。

長い付き合いの友達も改めて輝いてるなあと感じました🌼

 

 

美魔女じゃなくたって子どもを大切に育てているお母さんは美しいし、

悩み葛藤しながらも仕事に向き合っている

サラリーマンはカッコ悪くなんてないです。

カッコいいい肩書きなんてなくたって、

華々しく目立って活躍なんてしてなくたって

魅力的なんじゃないでしょうか😁

 

 

それこそ、色々あったとしても楽しそうだなあと

一人の子どもにでも思ってもらえるような大人でいいのかもしれない。

やりたいことやって。目標に向かって取り組んで。

途中で違うことに興味が出て方向転換もするかもしれない。

イヤになって投げ出して(笑)( -.-)ノ

 

 

自分に対しては甘くなるか厳しくなるしかできなくて、

厳しくなるしかできなかったけど、甘くなるとしたら。。。

私もいるだけで意味がある人間なのかもしれません。

うん、頑張ってる。うん、生きてる、オッケー🍃(笑)

 

 

 

 

さて、まだ産まれる気配はなく(突然来るんでしょうね)、

ブログも更新できました。

サブタイトル通り、今後も楽しそうに生きたいなあと考えています。

よろしくお願い致します。

しばらくブログはお休みですー💓