☆しんかなのブログ☆

元学校の先生、無職、そして母になる。〜世の中への社会研究〜

ここで産むと決めてから〜母になるための選択①〜

「予定日超過が病名だった/信じて待つということ」

 

妊娠中、お腹の赤ちゃんにまつわる夢をよく見た。

ひとつめは、私に似た赤ちゃんの笑う夢。これは、結構あたっていた。
自分でも分身かと思うぐらい(爆笑)
二つ目は、いつ産まれるか日にちを予言する夢。
これは予定日超過四日目だったから外れた。
実際は超過13日目(正期産ギリギリ)。

三つ目は、産まれてこないから一生妊婦の夢。

お母さんになれない夢。

まだ妊婦なの?と人から言われていた。

 
最後の夢は、臨月に入る前後よく見ていた。
なぜか不安になって、何人かに話して、まさかーと笑っていた。
誰かが昔流行った少年漫画(「封神演義 ほうしんえんぎ ※中国の明時代の小説」)に
3年間お腹にいて産まれた宝貝人間(パオペエにんげん)いたねー
だとしたら最強の力を持つ人間になるね、としみじみ言われた。
ということは大物になるね、と私は返した。
 

しかし、正夢になるとは思わなかった。

 
正期産に入って病院の検診は週1になった。
そのたびエコーで赤ちゃんの子宮口への降り具合を見ていた。
 

38週。前回とあまり変わってないね。運動続けてね。

39週。子宮口は柔らかくなってきたんだけどね。

40週。来週まで産まれなければ誘発分娩ね。

41週。促進剤無理なら帝王切開ね。

 

無事産まれてから、

42週まで、過期産まで自然に待てば産まれたのでは?と医師に確認した。

そして私に陣痛がこなかった理由は努力不足かと。

 
医師は、運動したからしてないからは関係ない。
骨盤が狭すぎるわけでもない。
一見、児頭骨盤不均衡だけど、そうとは言いきれない。
たまたま赤ちゃんの頭と骨盤の相性が悪かった。
タイミングがズレたというのか。
そういう赤ちゃんがあなたを選んだのだ。

来週になっても自力で出てこれないよ、死んでいたかもしれない、

長年の経験から言うと。

あなたの選択は賢明だったと思う。

これ以上努力できることはない。

 

赤ちゃんは誘発分娩で入院した初日、

エコーでみると降りる方向を間違えていた。

医師は切るしかないと断言はしなかったけど、そう思っていたと思う。
入院して翌日、微弱陣痛があった。また方向を間違えていた。

明日から促進剤の予定だった。

でも私はあと1日待てば正常に進路は戻るとなぜか思っていた。

そんな気がした。

この日は、41週3日。

5日目は促進剤を使うと約束するから

4日目は自然な陣痛を待ちたいと医師に伝えた。

母子へのリスクがあがると注意されたけど、それでもいいと言った。

 
入院してから病室では何度もスクワットをしたり、
寝る前はお腹が張るように乳房マッサージをした。
ベッドの周りを100回くるくる回ったりもした。
病室にはWi-Fiがなく、容量がオーバーし、携帯に制限がかかった。
入院中はネットもLINEすらできなかった。
誰かと連絡を取りたい気分にはなれなかったけれど、本当に孤独だった。
毎日泣いていた。
※産まれてからは少し余裕がでて、1kbだけ増やしてLINEをつなげた 
それでも人と連絡を取る気分にはなれなかった
 
促進剤を投与しなかった四日目の夜、破水した。
急いでエコーを見ることになった。

奇跡は起きた。赤ちゃんが正常な進路に戻っていた。

医師は、明日促進剤を使えば、切らずに産めるかもと言った。

 

信じて待ってよかった。

予定日を過ぎてから私は久しぶりに笑った。

もうすぐ予定日を過ぎてから2週間。
まだ産まれないの?と誰かに聞かれるのがしんどかった。
入院してからもっと疲れた。
 

やっと、報われた気がした。

夫婦で、この子はマイペースだけど

ゴールには確実に向かっているねと話した。

 
5日目は朝から夜まで陣痛促進剤を投与した。
強くなる陣痛に何度も吐き、胃液まで吐いた。
結局6日目の朝には陣痛はなく、分娩停止。
 
さらに促進剤を投与して吸引や大きく会陰を切る、
おなかを押すなどして赤ちゃんと一緒に体力の限界まで頑張るか。

ただ赤ちゃんに障害が残る可能性がある。

 
それとも私と赤ちゃんが元気なうちに帝王切開するか。
ただ私が一番したくないことだし、
一生下から産めないかもしれないし、傷は残る。

あらゆるリスクは私が背負わなければならない。

 
私の結論はとっくに出ていた。
でも、、、という思いだけが残り、後押しがほしかった。
 
6日目の朝、おなかの赤ちゃんがどうしたいか意思を示してくれた。
私はそれに従うことにした。不思議と何も怖くなかった。
 

やるべきことはやった。やってきた。

運動も食事も自分たちでできる範囲でやった。

でも皮肉にも自力では産まれてこれない。

医療の力をフルに借りるしかないのだ。

 

そうやって赤ちゃんが宿ってからトツキトオカ、二人で選択をしてきた。

産まれてからは別々の一人の人間の人生が始まるけれど。

 
私は医師と妊娠最後のエコーを見て、選択を伝えた。

この選択をしたから、今親子3人で笑っていられる。

私はなんとかお母さんになることができた。

 
次回に続く