☆しんかなのブログ☆

元学校の先生、無職、そして母になる。〜世の中への社会研究〜

ここで産むと決めてから〜母になるための選択 最終章〜

私は、今までの人生、自分が選択してきたことは正解だと考えている。

あのとき、ああすれば❕と直後は思い悩んだりもする。

けれど時が過ぎれば、納得する。

諦めではなく、それが自然な形になっていると気付くのだ。

私は直感で選択することも多いが、

研究癖(知りたがり屋というのか (興味があることは調べたい)があるので、

調べすぎて頭でっかちになり悩むことも多々ある。

「安産、命を懸ける、幸せな出産とは?」

今回の出産もそうだ。
私の出産エピソードを何回かに分けてブログに綴っているわけだが
なんで落ち込むんだ分からんと思う方もいると思います。
帝王切開になったとはいえ、母子とも健康なわけなのに。
ちょっと贅沢なんじゃないの?と。
帝王切開は今、5人に一人の時代で特別じゃないよと。
 
2週間にわたる産前産後の長い長い入院。
毎日健康なのに採血、検査、点滴、病院食。
出産当日は、下半身は動かず赤ちゃんとは離ればなれ。

傷が痛んで起き上がれず、明け方にナースコールを押して、

赤ちゃんを預けて情けなくなった。

入院中、分娩室から聞こえる産声に悲しくなった(私は手術室)。

初めての入院生活に、すっかり心が病んでいたところはある。
身体でなく気持ちが苦しかった。
 

早く家に帰りたい。

でも赤ちゃんを一人で世話できる自信がない。
でも病院なんて大嫌いだ。
でもナースコールがついている家に帰りたい。
 
入院中、助産師さんに愚痴りまくっていた。
予定日超過は病気じゃない❕
切らなくてもいい方法はなかったのか?
私は一生普通に産めないんだ、とか、、、
※経膣分娩はできなくもないが、
リスクが高いので、一度切ると次も切るほうがいいとされている
 
産後も前向きに育児をしながらも、ふと出産を思い出し、

モヤモヤしたときは夫や母に吐露していた。

誰の慰めも響かない日々が一ヶ月は続いた。

 

自分の出産を「失敗」だと思っていたせいで引きずった。

自分の研究癖が仇になった。
お産に興味があった私(産院変えてたことから分かるように)は、
いろんな本を読んだし、ママ友に経験談を聞いた。
もちろん帝王切開になった人の話も聞いていた。
でも、自分がそうなるとは思わなかったし、
本の影響で帝王切開や吸引分娩といった異常分娩はあってはならないと考えていた。
 

帝王切開の子どもは身体が弱い。

難産になる産婦は努力不足。

帝王切開では真の「女」になれない。子どもに愛情が湧かない。

帝王切開は命懸けではない、幸せな出産ではない。

 
など。極端な思想だ。
帝王切開だって「立派な出産」と頭では思っていたけれど、
どこかでそうかもなと納得していた自分がいたのだろう。
 

だから、すっごく落ち込んでいた。

私は妊娠生活が間違っていたのかな、愛情が湧かないのかな、と。
自分の研究癖のせいで苦しんでいた。
 

でも、今はそれは違うんだと言える。

 
私は努力して出産にのぞんだ
命を懸けて手術台にのぼった。
あの選択はベストを尽くした上だ。
破水3日目で感染症の危険があった。
充分降りてきていない赤ちゃんに、
強力な促進剤や吸引は危険だったかもしれない。私自身も。
 
赤ちゃんは健康で順調に育っている。
毎日かわいいと思って育てられている。
家族も友達も色んな人たちが赤ちゃんの誕生を喜んでくれた。
育児は分からないことだらけで正直不安になることもある。
これからも度々不安になるだろう。
でも支えてくれる人がいるし、一人じゃないと思える。
 
夫は、愚痴る私にずっとかけてくれていた言葉がある。

「今回の出産は成功だ。産みかたは少し違ったかもしれないけれど、

10ヶ月も長い間、赤ちゃんが健康なままお腹にいることができた。

それはすごいことだよ」

 
今はそうか、私の出産は失敗じゃないんだと、その言葉を受け入れられる。
 

今回の帝王切開だって、

安産だったし、命を懸けていたし、

幸せな出産だと赤ちゃんに気づかされた。

 

そもそも出産に優劣なんてない。

失敗なんてない。

全部成功だ。

 
自宅だって病院だって、
分娩台だって、手術台だって、どこで産んだって、
どんな産み方であったって、
赤ちゃんが病気を持って産まれてきたとしても、

命の誕生というのは奇跡だ。

幸せなものだ。

 

赤ちゃんの私へのギフトは「幸せな出産」だった。

思い返せば、そうだった。
確かに私は産前産後、精神的につらかった。
 
でもあの日、帝王切開の手術の日。

赤ちゃんが誕生した日、

私は人生で一番幸せだなと思った。

誕生した瞬間、つらかった時間が全部吹き飛んだ。
 
手術の執刀医と、取り上げてくれた助産師は、
ずっと担当してくれていた人たちだった。
いろんな産院を転々としてきたけれど、一番話を聞いてくれた人たちだった。
また、麻酔医に手術前、産まれる赤ちゃんの名前は❓と聞かれ、
名前がたまたま、その人の幼なじみと同じだった(我が子の名前は少し珍しい)。
手術だけれど、アットホームな感じがした。
 
土曜日だったこともあり両家の家族が来てくれた。
手術の無事を祈ってくれていた。
お疲れさま、おめでとう。
新生児室のガラスの前で、私が一番に赤ちゃんを抱っこするのを待ってくれていた。
 

初めて抱っこした時、体は小さいけれど、どっしりと命の重みを感じた。

その時、赤ちゃんはこうやって色んな人たちに祝福されて

産まれたかったんだなと思った。

いや、違う。私にこの景色を見せたかったんだなと。

 
予定日は台風直撃の日だった。
1週間後も台風の予報だった。

13日目は見渡す限りの金色の稲穂が広がるような、秋晴れだった。

 

赤ちゃんが産まれる日を選ぶっていうのは本当かも。

お母さんを幸せにするために産まれてくるっていうのは本当かも。

 

考えすぎて調べすぎて、頑張りすぎてガチガチになってしまう私を

助けに来てくれたんだね、きっと。

「生きているだけですごいんだよ」

「幸せは身近にあるよ」

 
と思っていたのに、産後は落ち込んでしまったけれど思い出した。
こうやって書けるときにブログを書き始めるうちに、
赤ちゃんは生後2ヶ月を迎えようとしている。
 
できればお腹を切りたくなかったな、という感情はまだ残るけれど、

手術前の「出産はもうこりごりだ」という気持ちは今はもうない。

また機会があれば、命の誕生の瞬間を見たいと思う。

自分じゃないかもしれないけれど。